2013年6月27日木曜日

生かされているだろうか 「殺人以外は何でもある」と言われた中学校を変えた教訓



教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 ( 解説 )

  A先生たちは、小学校や中学校の先生が共に学習する機会をつくると共に他府県に出向き交流・学習を積む重ねていく。

 また地域の夏のとりくみとして「祭り」を復興させ定着させていく。


  否定的な子どもの見方の中から
                   「肯定的な見方」を見いだす

 そういう中で、「今の子は……」という子どもに対する否定的見方を家庭、地域、社会の状況の中で考え合う取り組みもすすめる。

 ようは、否定的な子どもの見方の中から「肯定的な見方」を見いだす取り組みを進めていったのである。

 京都北部の冬は雪深い。
 その雪をかき分けて体育館一杯になる人々が集まり、


 学校・家庭・地域がひとつのかたまりになって 地域ぐるみの子育ての道を歩きはじめましょう

ということが確認されていく。

 これらの取り組みは、町の教育長をも唸らせた。

  定年まであと1年で無理強いさせた異動の主は今

 ここで解説したのは、ほんの一部に過ぎないが雪深い町で体育館一杯になる町民が集まり子どもたちのことを考え、子どもたちのいい面を伸ばそう、自分たちの若い頃と違って地域産業が崩壊してきている。

 そのことと子どもたちの将来を重ね合わせて町民が考えはじめたことは、「殺人意外なんでもある」と言われた中学校をも徐々に変わっていくことになる。

 何よりも、町民の子どもたちに対する温かい眼差しは、反発する子どもたちを暖かくくるんでいった。
 
 A先生。定年まであと1年。

 「荒れた中学校」が徐々に変わってきているにもかかわらず、突然の異動。
 今度は、小学校へ。
 そして1年間で退職。

 でもA先生はひるむことはなかった。

 亡くなるまで、幼児教育をはじめさまざまな地域の取り組みに積極的に参加し続ける。
 もちろん障害児教育の取り組みは、亡くなられるまでその手を休ませることはなかった。

    障害児教育と普通教育の基礎は同じ

 解説が非常に長くなってしまったが、学校が荒れて、いじめ暴力が横行するとき、直接的にそれに立ち向かいつつも地域の住民と共に教育を考える輪を広めていくことは、「遠回り」であるが結果的に問題を解決していくことになるのだと言うことをA先生は身を挺して後世に知らせたように思えてならない。

 
  今日、学校における暴力やいじめ、体罰の名の下の暴力などなどがマスコミで採り上げられ、いくつかのマニュアルが出されている。

 だが、これらのマニュアルで本当に学校における暴力やいじめ、体罰の名の下の暴力などなどがなくすことが出来ると言えるだろうか。

 A先生が取り組んだ「荒れた中学校」から希望の持てる中学校、いそいそと喜んで行ける中学校づくりは、すべて否定されてしまっている。

 いや、否定した人々が、教育委員会に抜擢され「いじめ・暴力をなくすマニュアル」を作成しているのである。

ここには、子どもたちを思う精(たましい)がない。
 教育は口先だけで出来るものではない。

 また、障害児教育と普通教育の基礎は同じであり、それは相互交流できるものなのだ。
 その上に、独自的課題とより専門性が必要なのだとA先生たち京都の障害児教育の先駆者は、物静かに語っている。


 それぞれの分野を他と切り離し、細分化の上に細分化して、特定の子どもたちだけの教育を論じている人々に、A先生たちは、

 すべての子どもにひとしく教育を

と語っているように思えてならない。
 

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