2013年6月6日木曜日

殺人以外何でもあります、と言われた中学校で障害児教育の教訓を生かす


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 ( 解説 )

 A先生たちは、すでに述べてきた状況の中で

 すべての子どもにひとしく教育を

を目標に養護学校づくりをすすめ、与謝の海養護学校を設立して行く。
 このことの経過は、多くの本で紹介されているが、その長い前史は書かれていないのであえて紹介した。
 A先生は与謝の海養護学校を設立した一人として、その後、教頭・校長となっていくがその姿勢は、他の京都の府立学校の校長と抜きんでた違いがあった。
 そのため嫌がらせ異動で中学校に行くように京都府教育委員会から命じられた以降の教育実践を紹介する以前にA先生が定年4年目に語った校長論を掲載しておきたい。


    校長だけで出来ることはない

 編集部から「校長、その苦労と働きがい」のテーマをいただいた。

 苦労がなかったといえば嘘となろうが、正直言って「あんな苦労した、こんな苦労した」といえる思いは残っていない。

 「いそがしいと言うことはそれだけ仕事している証だ。」とか「どうしてもやらなあかんのやったら、楽しみながら仕事することや」なんて言ってきたからであろうか、たしかに次から次と色々と取り組んだとは思う。

 しかし、どちらにしても「校長」と言う立場で一人で出来た事ではない。
 それは校長だから出来ること、校長にも出来ること、校長だから出来ないこと、がある。

 しかし、校長だけで出来ることはないのではないか、それは、教育の仕事は、校長を含む教職員の集団労働によって成立すると考えてきたからである。


  きびしい仕事を楽しみながら取り組み
    共に成功の喜びを味わう事が出来る

 ここに報告した取り組みも、その時々の状況の中で、協議ー合意ー実践の流れを大切にしながら、きびしい仕事を楽しみながら取り組み共に成果を確かめ、成功の喜びを共に味わう事が出来た経験の報告である。

 働きがいもこれらの報告の中にあると思っている。

 今日、きびしい諸状況があるが、きびしさ故に見えてくる真実や原理、原則を大切にし、きびしさを越える実践、きびしさ故に創り出すことの出来る新しい連帯や実践の創出が求められる。

  子どもの発達を保障する以外の何ものにも屈せず

 教育の論理をもとに、子どもの発達を保障する以外の何ものにも屈せず、どんなまわり道もいとわぬ粘り強さと、真理・真実以外何ものをもおそれぬ大胆さ、そんなしたたかさをもった、実践・研究・運動の新たなる創造が、今、求められている。

とA先生は、まとめの部分で文章を終えている。

 そして、編集部から与えられたテーマ

  「校長、その苦労と働きがい」



 「教職員と共に歩んだ学校づくり地域づくり」

とテーマを変えている。

 このA先生の姿勢を貫いた管理職は少ない。

 教職員組合や障害児教育を熱く語っていた教職員が、管理職になったとたん教育委員会の言いなりになり、「教職員と共に歩んだ学校づくり地域づくり」を全面的に否定し、教職員や地域の人々に分断を持ち込んできた。
 そしてA先生をはじめ京都の障害児教育をすすめてきた人々の個人情報を歪めて教育委員会に報告するなど数知れないほどの信じがたい出来事が現在まで進行してきている。
 それを教育委員会は歓迎し、それを基に教職員の異動や待遇を変更してきた。
 どのような教育実践上の成果が得られているかは別にして。


  A先生の「嫌がらせ異動」「退職を迫る異動」に
     対する実践的回答

 文章が長くなったがお許しいただいて、教師になって、その全生涯のほとんど障害児教育につぎ込んできたA夫先生を普通学校に転勤させれば、A夫先生は何らの教育的取り組みが出来ないで自ら退職をするだろうという京都府教育委員会の思惑があった。

 これに対してA先生は、次のような普通校での実践と実積を次々と実現して、その事実を京都府教育委員会へ「回答」している。

 以下そのことの一部を概略的に少し説明を加えて紹介したい。

 なぜなら、障害児教育と普通教育は別立てでないことをA先生は身を挺して証明してきたからである。

  殺人以外何でもあります、と言われた
    中学校校長になって

 中学校教育の経験がまったくないA先生は、「荒廃」状況真っただ中のC中学校に着任した。
 それまでは、C中学校の「荒廃」状況は外にいて聞くのみであった、とのこと。


 そのためA先生は、先ず着任し、実態をしっかつ見る事からはじめよう、そしてその上で、何をすべきか、何が出来るかを考えよう、と腹をきめての着任という。

 C中学校に着任してまず、生活指導部長が、「殺人以外何でもあります。」と言うように毎日の様に問題がおこり生指部長も担任もその対応に追われていた。

 そんな状況をみる中で、A先生は、学校づくりの第一歩は、教職員集団づくりである、と……考える。

 それは、教職員集団の集団的力量の質(発展)が、教育活動の質(発展)を決める(規定する)と考えたからである。

 与謝の海養護学校づくりの中で

「学校は、憲法・教育基本法の理念に基づき、子どもの発達要求、父母の教育要求、地域の教育要求、教職員のしごとの要求、行政の要求(民主的)を統一的に実現する場である」

と整理していた。

 だから、学校をつくるためには上から言われたことを素直に聞くだけであったり、自らすすんで考えない教職員ではなく、どうしても自覚的民主的な教職員集団の形成は欠かせない、と考えた。

  全教職員が学校運営に主体的に参加し  個々の教職員の持ち味や創意を生かす。

 そのためには、民主的な教職員集団の形成の上で必要な組織の民主的整備と民主的運営と習熟が必要である。

 すなわち、全教職員が学校運営に主体的に参加し、教育活動はもとより各々の任務を果たし合い、個々の教職員の持ち味や創意を生かしつつ、全体としてのまとまりとしての集団的力量の発揮が出来る条件をどう創るかということであった。
                                                       

                                             ( つづく )

 

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