( 早期教育・インテグレーション・言語指導への教師・親の反論 6 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
1974年4月28日
親も変わり 聴覚障害児も変わってきたが
各学校で、ひとりひとりになっていた聴覚障害児が、1週間に1回集まり、聴覚障害児同士の仲間が集まる場をつくる。
聴覚障害児集団が形成され、自分の言いたいことや友だちを気遣うことや自分の独りよがりな思いを他の聴覚障害児に指摘される中で子どもたちは大きくそだっていった。
親が変わり、親の集団が行動を起こす。聴覚障害児が変わり、聴覚障害児同士の友だちが出来る。
この変化の中でろう学校の教師集団は、親や子どもたちのように素直に受けとめることは出来ないでいた。
ろう学校においては
各部間の教師の交流は極めて少なく 教育実践も違う
教育という営みは、子どもの発達の時期の間に限られて行うものではなく、幼児期から青年期、さらに死ぬまで一生の人格形成を見通したものでなければならない。
それぞれの時期の教育に関わるそれぞれの教師集団に一貫した発達観・教育観の下で共同の討議が必要である。
今までのろう学校においては、各部間の教師の交流は極めて少なく、子どもに対する教育実践も違うという同じ学校の中でありながら一貫したろう児の発達の見通しについての論議がされてこなかった。
その結果、各部の教師の間には、無関心、不信ムードが広がっていた。
そういう状況の中で幼稚部のインテグレーションが進行していたことが大きな問題である。
というのは、ろう学校全体の教師が信頼の絆で結ばれながら聴覚障害児にとってよりよき教育環境を要求してつくりあげていくという体制ではないから、それよりは、いくら保障が不十分でも、普通小学校で得られる言語環境に期待した方がましだという考え方があった。
「脱ろう学校化」とインテグレーション
まずろう学校の教育の充実や教師集団が教育の力を高めていくことを問題にせず、現在あるものの中にに適応できるところに進ませるという、現在肯定論であり、本当に積極的な意味を持った統合の是非の論議はなかった。
いわば、「脱ろう学校化」ということがインテグレーションがすりかえられていたのである。
インテグレーションが単なる「適応」を超えた「変革」の方向を持っているものであるならば、今までのインテグレーション=脱ろう学校化の矛盾をあばきださなければならない。
そのためには幼稚部・小学部の教師集団は、インテグレーションの問題について共通の認識と見通しをつくり出さなければならない。
幼稚部・小学部の教師集団は、どうしても共同で幼稚部卒業生のインテグレート後の問題に取り組む必要があったのである。
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