2012年3月14日水曜日

後藤勝美さん の文章が「障害者を障がい者」に書き替えられていた

Once upon a time 1969

 2008年に後藤さんからメールが来た。
 ある新聞社から依頼されて原稿を送ったら、「障害者と書いたのにすべて障がい者」と書き換えられていた。


   自分が「障がい者」と書いたように読まれることへの怒り

 自分が書いたと新聞に掲載されているのに、自分が「障がい者」と書いたように読まれる。

 なによりも、表現の自由を大切にする新聞社が、勝手に文章表現を変えていいのか。
 近頃は「障がい者」とひらがなにしているが、ひらがなにしたから変わるものでもないし、自分は障害者だと思っているし、そう思うから障害者と書いたのにとのメールだった。


 私も、その頃やたらカタカナ文字が横行したり、一斉に何の説明もなく「障がい者」と書き替えられていることに関して、疑問を抱いていたのでかなりの意見交換をした。
 以下長くなるが、掲載したい。

心の中を駆け巡った
   「健康教育概論 - 生きる権利の認識 -」

 後藤さんからのメールを読んだ時に、私が健康とは、ということで学んでいる時にT養護教諭からすすめられた「健康教育概論 - 生きる権利の認識 - 野尻與市著 医療図書出版(1974年8月)」の文章が心の中を駆け巡っていた。

  T養護教諭は、保健室で健康教育を取り組んでいるが、「 健康教育概論 - 生きる権利の認識 - 野尻與市著 」が一番のテキストになると言いきっていた。
 それを聞いて、その本を何度も読んだが、後藤さんのメールをもらった時思い浮かんだ部分だけ紹介する。


  健康たりえない人にとって「健康」とは何か
    - 憲法25条1項の問題 一

 現在の日本において、高令者・障害者の数が増えているのは周知のとおりである。
 ここで問題なのは,この人たちを「健康」といえるかということである。


 「老人には老人なりの健康がある」

と言われてきた。

 老人にみる生理学的解剖学的変化はまさに退行性のものであって、決して正しい意味での健康な状態ではない、と私は信じている。
 また、障害者については、

 「不具者すなわち障害のある子どもをすべて非健康者として扱うことは大きな差別であり、まちがいです。すぺての子どもの人権を尊重する立場から考えれば、わかることです」

という発言がある。

 これは心情としてはわかるが、健康をそれこそ人権の立場から考えるときは、決して正しくはないのである。
 なぜなら、もしこの人たちの状態を健康と認めるとすると,憲法25条1項にうたわれている「健康」の中身が大きく後退し、その人たちは「健康」であるということで巧みに処理される可能性があるからである。


自分たちは「健康」ではないというはっきりした自覚に立って
 だから健康を可能な限り自分のものにする権利がある と

 私はこの25条1項の「健康」というのは、

「健康の状態に如何にかかわらず」

と読むべきであり、更に、

「健康を障害している人はその障害を克服する権利を有する」

を付加すべきものと思っている。

 この私の見解によれば、いま述べたように、この人たちを健康とみなすことには賛成できないのである。
 彼らの権利としての健康を取り戻したいという当然の要求は、自分を「健康」であると認める限り,筋の通らないものになるではないか。

 自分たちは「健康」ではないというはっきりした自覚に立って、

「だから健康を可能な限り自分のものにする権利があるのだ」

と、声高く叫ばねばいけないのではあるまいか。


後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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