2013年3月14日木曜日

聾教育は「特殊か領域」?

 
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
 聾教育は特殊な領域か

 最近、聾学校の現職の教諭がいくつかの本を出している。
 その中のある本に次のような事が書かれていた。


 私の率直な思いを書かせていただくと、聾教育というのは、かなり特殊な領域であるように思います。学生の頃、ある聾学校の先生から「『あの大学の先生(研究者)は、教育現場のことをわかっていない』と最もよく(陰口)を言うところは、聾学校だよ」と言われたことがあり、「これは研究者と現場の教員の『乖離』を嘆く一つであり、自分も研究・教育実践にあたって注意しなければならない」と私は受けとめました。また、大学のいろいろな先生方と話をしていますと、障害児教育一般のことはよくご存じでも、聾教育や聾学校について良くご存じないと感じることが何回かありました。例えば、「現在の聾学校は、重複障害児が大半を占めている。」とか「聴覚障害だけある子どもと(軽度)知的な障害をあわせもつ子どもは、一般の知能検査によって容易に区別できる」とかいう「誤解」が、その一例です。

  聾教育に携わる現職の教諭として
                    求められる責任ある態度

 聾学校は特殊な領域であるとする根拠としてあげている

1,あの大学の先生(研究者)は、教育現場のことをわかっていないと最もよく(陰口)を言うところは、聾学校だよ。
2,現在の聾学校は、重複障害児が大半を占めている。
3,聴覚障害だけある子どもと(軽度)知的な障害をあわせもつ子どもは、一般の知能検査によって容易に区別できる

のうち、1,聾学校の先生が言っている記述として書かれ、2,3は、研究者の言っていることとして書かれている。
 だが、1,2,3とも聾学校の教師が広く言い続けてきていることである。


 そのため、3つの根拠を持って、「聾学校は特殊な領域である」とはならない。率直に思っているのは筆者であって「聾教育というのは、かなり特殊な領域であるように思います。」と書いている以上は、筆者の根拠でそれを書く必要があるだろう。
 誰々が言っているから、と根拠だけで現職の聾学校の教諭の自分自身の感想、意見を裏付けるのは責任ある態度とは思えない。

 
 聾学校に手話を
 と言うことで聾教育の改革はできるだろうか

 残念ながら、このような「聾教育というのは、かなり特殊な領域」「聾学校は特殊な領域である」という話は、1960年代から少なくない聾学校の教諭から聞かされても来たし、さまざまな分野で発表されてきた。

 この「特殊な領域」なる考えこそが、聾教育を他の領域の教育と切り離したっり、相互関係・相互交流を妨げてきた大きな問題ではないだろうか。

 それを打破するかのように近年、「聾学校で手話を」「聾教育で第一言語としての手話を」と叫ぶ傾向が強まってきているが、このブログですでに述べた

「これ以上ろう学校の先生に 手話を使って 干渉されたらたまらん 」

のろうあ者の本音が理解されていないように思える。

 もっとズバリと書くならば、「聾教育というのは、かなり特殊な領域」「聾学校は特殊な領域である」と言う聾学校の教諭ほど聾教育の改革や聾学校のあり方を提起出来ないばかりか「自己保身」のための口実としか考えられない。

 これらの「理屈」は、古くから聾学校の教師が言い続けたことであり、何ら目新しいことではない。





http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/24394013.html

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