2013年3月14日木曜日

寄宿舎に入れてろう学校で学べた お母ちゃんが喜んで…


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 2年ほど前に京都府立聾学校や教育行政・養護学校づくり・普通校などを経験し、退職したB先生(ご本人は実名でも良いとおっしゃっていたがインターネットに掲載する関係でイニシャルにする。)にインタビューを行った。そして、今では誰も持っていない重要な資料をお借りした。
 そのインタビューで聾教育・聾学校等に関わる部分について掲載したい。

 

  1952年 350人のろう学校の生徒がいたときに新採に

 聾学校の教諭になられたのはどのような理由からですか。 

・B
1952(昭和27)年新採。
 ある校長に呼ばれて、


「子ども好きか」

と聞かれて、

「好きです」

と答えたら

「手話を覚えて欲しい」


「ほな明日からきてくれ」

と言われて行ったらろう学校やった。

 教師二人、寄宿舎寮母一人の三人の採用でした。
 ろう学校には先輩方がおられて学んで行ったという状態です。
 私は、小学部と中学部の重複学級教えていました。
 重複学級は、学校全体から言えば数名でした。

 350人のろう学校の生徒。

 小学部が一番多くて、一学級15,6人。それが各学年3学級あった。
 
 ろうの子どもたちは「隔絶」されていた 在宅 不就学

 重複の子どもはろう学校では、断ると言うことはあったんですか。

 
・B
丹後の網野町(当時)にろうで重複の子どもが「座敷牢にいる」という噂が福祉関係者か、いろいろな話が入ってきて、

「それじゃ、様子を見に行くように」

と言われて、見に行ったことがありました。

  一日がかりで家族と話をして
                      ろう学校に入学できた子ども

 瑞穂町(当時)山奥に女の子が学校に行かないで居るとか。連絡が来る。
 親に会って、学校に入れるようにして来るように、と言われて山奥の家に行くとか。
 それも教師の仕事でした。


 園部から国鉄バス(当時)が一日1回か、二回ぐらいしかでていない。
 朝、に行って夕方までその家に居らんと帰れないと言うほどのと遠いところでした。

 その子は、寄宿舎に入れてろう学校で学べた。
 お母ちゃんが喜んで……そのお母ちゃんと今でも連絡を取り合っています。
 
 ろう学校に通う・寄宿舎に入舎する
                                  経済援助がなかった時代

 昔は、ろうの子どもたちは、「隔絶」されていた。在宅、不就学。

 その頃、就学奨励法という法律が出来て、学校の給食費、学用品などなどの援助がされるようになった。
 それまでは、法的援助がなかった。

 親はお金がないからろう学校にやれない。
 

 畑作業をする労力としてその子らを、でないと生きていけない。
 

 話も、手話も通じない。

   みんなに会えて友達になれたのは
           ろう学校があったからや

 初めて小学部1年生に入ったその子は、初めて教えた言葉は、「パン」。
 「パン」は、給食。
 
 お腹押さえたら「おしっこ」。
 
 これだけは覚える。教える。


 そういう「身振り」を教えてくれたのが、高等部の重複学級で教えていたC先生。その頃、C先生だけが、身振り、手振り、手話が出来た。

 その頃教えた子どもらは60歳こえているけれど今でもつきあいがある。
 昔のことを忘れない人々で、健聴者のほうが水くさいと思う。
 卒業したらさいなら。


 京都府聴覚障害協会(昔ろうあ協会と言っていた)の老人部の集まりが毎年新年会としてある。そこで教え子たち(?)と出会う。
 いつも呼んでくれはる。
 そこで話すことはいつも京都府下の、って言わはる。

  荒れはてていた ろう学校の教師たち
 
 1952(昭和27年)新採で行った頃のろう学校は、府庁前から御室の仁和寺に移転したばかりの学校でしたが、と思う以上に「荒れはてていた。」

 職員室の机の下に一升瓶置いたり、ウイスキーの瓶が転がってたり、宿直で麻雀している先生などたくさんいた。

 学校の周りの畑に先生が、ネギとりにいって、すき焼きする。校長が「ネギ取りに行くな」というそんな時代。

 無政府状態の学校。
 背景にあったのは、障害者差別でしょうね。

 子どもに何言ってもわからへん。

 子どもの言っていることがわからへん。

  ろう学校の教師をしているんやったら 私は離婚します

 ろう学校の先生の中でも

「ろう学校から出してくれ。出るようにしてくれ。」

と先生が言ってきた。

 「なんでや」

って聞いたら、

「うちの嫁はんが責め立てる。私は高校の教師と結婚したんで、ろう学校の教師と結婚したんではない。」

「ろう学校の教師をしているんやったら、私は離婚します。」

と言われる。責められる。普通の高校に出すようにしてくれ。

「なんでそんなこと言うんや」

と言い、

「それはろう学校の生徒に対して差別していることになる。」

と大げんかになった。
 子どもの前で、つんぼが…つんぼが……府教委もそのようなことも言っていたし、そのような考えでした。

 府教委と交渉があったとき、「役にたたん教師が居るから異動させる。」という府教委に「不当転勤や」と言うと、「そんな教師は、めくらか、つんぼの学校でいいいんや」と人事担当が言う。
 それで、怒って「差別発言や」「撤回せ-」言って。
                                                                          ( つづく )






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