2011年8月31日水曜日

ありのままの事実に目をふさぎ、必要以上の要件を求め、勝手な解釈、根拠のない断定を行う公務災害認定の根本的改革を


山城貞治(みなさんへの通信71)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その51)

(27)障害児学校での腰痛健康診断、けいわん健康診断で、労働軽減が必要とされた教職員に対し、労働軽減のための教職員を配置すること。
(28)障害児学校に、安全で衛生的で働きやすい環境をつくること。
 机・椅子・ベッド・便器などを教職員の作業姿勢を考えて調節可能なものにするとともに、あらゆる設備の安全・衛生点検を行いその改善を進めること。
 また、リフターやリフト付きスクールバスをはじめ先進諸国で導入されているオーダーメイドの人間工学にもとづく機器の導入をはかり、教職員の健康を守るなどの予防策を講じること。

 京都府高は、障害児学校のけいわん(頸肩腕障害)・腰痛裁判で公務災害認定を勝ち取ってきた。この判決に対する細川汀先生の文章は非常に示唆に富むので、紙面の都合で、けいわん(頸肩腕障害)裁判のみ京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」より転載する。

京都地裁判決(1999年7月9日)平成7年(行ウ)第11号
公務外認定処分取消請求事件(一部抜粋)

                                             主  文

1 被告が、原告に対して地方公務員災害補償法に基づき平成3年8月14日付けした公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 原告の業務の過重性
(一) 草創期による過重性



 昭和54年に学校教育法に基づく養護学校の義務制が実施され、従来、学校教育の対象となっていなかった重症心身障害児に対する学校教育が開始された。 原告が本件職場に配置された昭和55年度は、その2年目であり、いわば重症心身障害児教育の草創期であった。そのため、教員は無定量の職務を余儀なくされたうえ、教育内容を自ら考案し実践する過程で、肉体的、精神的緊張を強いられた。また、教員の1週間の動きは複雑であり、さらに、年度により大きく変化した。
 原告はかかる状況の下で、昭和55年4月から昭和59年3月まで重症心身障害児教育を担当したのであり、その業務の過重性は明らかである。

(二) 過密な労働実態の常態化による過重性
 (1) 休息、休憩時間
 制度上の勤務時間の割り振りは、8時15分から17時まで(月曜日から金曜日)、8時15分から12時まで(土曜日)で、そのうち、休息時間は12時から12時15分までと16時45分から17時まで、休憩時間は16時から16時45分までであった。しかし、1日を通して休憩、休息時間をとることはほとんど不可能で、昼休みも食事をするのがやっとの状態であった。

(2) 会議
 授業の前後や勤務時間終了後には、教育内容の検討(方針の検討、教材作り)、合同行事のための打ち合わせ、父母や地域との連繋に関する会議等の各種会議が頻繁に行われ、休憩時間にくい込んだうえ、17時を過ぎることもあり、多数回、長時間かつ高度の緊張が要求された。
昭和58年度には、ほとんど毎日会議が行われた。
 (3) 超過勤務、持ち帰りの仕事
 教材研究、教材作り、子供の記録、指導案作成、実践のまとめ、評価、生活指導などのレポート作成の仕事は、正規の勤務時間内に行うことが不可能で、自宅に持ち帰って行わざるを得ず、通常で毎日1時間半から2時間、学期末や年度末はそれ以上の持ち帰り残業があった。

(三) 教員数の不足による過重性
 本件職場の教員数は、昭和55年度は児童61名に対し12名、昭和56年度は児童67名に14名、昭和57年度は児童71名に対し16名、昭和58年度は児童72名に対し23名であった。
最近の教員数は、平成4年度は児童25名に対し18名、平成7年度は児童21名に対し22名、平成8年度は児童17名に対し17名であり、これと比べて、当時の教員数は大幅に不足していた。
殊に、本件職場は、発達障害の程度が高い児童を対象としていたにもかかわらず、他の障害児学校と比しても教員数が少なかった。
このため、原告が本件疾病を発症した時期には、本件職場で勤務する多くの教員が頸肩腕症候群や腰痛に罹患していた。

(四) 本件職場の環境の不備による過重性
本件職場には、次のような問題があり、これらが教員らに過大な負担を与えていた。
 (1) 教室数が不足していたため交替で教室を使用しており、教室設備も不充分であった。そのため、学習活動に必要な大きな教材を、授業ごとに授業準備として自ら運び、片付けなければならなかった。
 (2) 原告の発症当時、本件職場では、頸肩腕症候群に対する予防、発見、治療対策がとられていなかったため、重症になるまで事実上放置されていた。

(五) 原告独自の事情による過重性

原告は、一貫して、本件職場でも最度重症の児童の教育を担当してきた。また、担当している児童の死に直面した回数も多い。
さらに、昭和58年度は3病棟の代表になり、教員の代表として病院との連・調整役を担当したため、人間関係から心労を感じることが多かった。

4 他の要因の不存在
 原告には頸肩腕症候群や背痛症を発症する他の原因は存在しない。


三 結論
 以上の次第であるから、被告の本件疾病を公務外の災害であるとした本件処分は違法であって、その取消しを求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

HOSOKAWA ADVICE 事実にあたろうとすれば真実が分る
一養護学校教員・小谷さんの裁判勝利確定について一       細川汀
1.裁判の争点

 「頸肩腕症候群」の業務上認定は、被災者の仕事が本人にとって過重であり、この病気を起こしても当然であると考えられること、および被災者の頸・肩・上肢などの痛みが強く、その病像と経過から仕事が主要な要因と考えられること、この二つが明らかであればよい。
 それが労災法および災害補償についての今日の国際的な考え方である。
 しかし、多くの裁判において、国、自治体、企業などは、
(1)被災者の労働条件は過酷なものではなく同僚と同じ程度で、この病気を起こすとは考えられない。
(2)本人の病気は自覚症状のみであり、同じような症状を呈する他の疾病の所見や家事・育児・出産などの負担を考えると、仕事が有力な原因になったとは言えない、と主張し、業務外の裁定を支持した。

職業病の患者を出したという反省どころか攻勢するとは

 職業病患者を出したという反省がみられない。
京都の養護学校教員で入院している重症心身障害児の訪問教育を行った小谷さんの裁判の場合も、被告の基金京都支部は、
(1)被災者がこの病気にかかったとは認めがたい、主治医が鑑別診断を十分にしていない、自律神経失調症、低血圧症、頸椎不安定症、リウマチによるものと考えることができる。
(2)被災者の仕事で負担になる揺さぶり、おむつは行われなくなったし、教材の運搬や児童の移動もそれほどの負荷はなく、授業は上肢作業だけでなく、授業中の着替え・おむつ換え・食事指導は毎日でなかった。人員も全国平均に比し過重ではなかったし、同僚と同程度の「断続業務であった」ことを主張し、証人として整形外科医岩破氏が証言を行った。
一方、保母や介護、給食調理などの職種の「頸肩腕症候群」について、労働省は旧認定基準の中での作業例示の中に含めず「今後検討の上で」と言明したままで、特別の調査委員会も作らず、筆者の研究報告(科学研究助成)も採用しなかったことが、認定や裁判に大きな支障をもたらした。

認定基準の根拠が崩れると 別の理由を出す公務災害認定側

 しかし、95年中災防の「職場における頸肩腕症候群予防対策に関する検討結果報告」が発表され、特定以外の作業でも発症することが確かめられ、この病気が起きやすい作業例として「上肢等の将来の部位に負担のかかる作業」の中に「保育、看護、介護作業」があげられ、97年に通達された「新認定基準」にもこのことが示された。
 これまで認定基準を根拠に業務上を否定してきた基金側は、それでも「混合的、複合的、一時的」作業であるから、「これらの作業と頸肩腕症候群との定型的因果関係を認めたものではない」と苦しい言い逃れをする。
 反面、新認定基準が旧認定基準を引きついだ「3~6ヵ月で軽快」とか「同僚より仕事量が多い」とかの語句にはしがみつくのである。

公務災害認定側の医師の「憶測」を否定した判決

2.判決の特長

これに対して京都地裁の判決はどのようなものであったか。
第一に被災者の症状と発病から進行、および治療の経過を主に医師のカルテと本人の証言によって検討した結果、その自覚症状は全身の痛み、だるさであり、児童を抱き続けていることができず、前屈みの姿勢をとるだけでも痛みを感じ、字を書いたり、包丁を使ったり、雑巾を絞ったり、髪を洗うために手を頭にあげたりする日常生活に支障をきたすものであった。
また、実際に診察した医師の診断によると典型的な「頸肩腕症候群」であり、岩破医師の憶測する病気は認められなかった。
第二に、多くは寝たきりの状態で、筋緊張が強く、変形や拘縮を伴っている重症心身障害児(平均体重21㎏、最多42㎏)の食事、排泄、更衣、入浴、洗面などの日常生活全般にわたる介助、その多くがてんかん、呼吸器系の弱さ、嚥下困難、視聴覚障害、内臓障害を合併する子どもに注意しながら行うさまざまな「授業」、一日中子どもを抱き上げ、抱き下ろす、病棟教室問の坂道を子どもを乗せたバギー等を押して歩く、片手で子どもを支えながら身体を前屈みにして、他の手で子どもにかかわる、前屈みや中腰になる作業がきわめて多い、ことが確かめられた。
また、被災者の職場の職員一人当たり児童数は2.9~3.1人で府下養護学校でももっとも多く、頸肩腕症候群や腰痛が毎年のように発生していた。 

総合して、業務と病気の間の「相当因果関係」を認めた判決

 判決は、養護学校教員の中の発症傾向も合わせて、「児童を抱き上げたり抱き下ろしたりする等の腕を使う労作や児童を支える等の無理な姿勢で腕を中空に保持する労作が多く、上肢、肩、頸部に負担のかかる状態で行う作業である」と結論づける。
 その上で障害の重い子どもが多かったこと、教員数が少ないこと、病休をとったもののしわ寄せがあったことを指摘する。
 そして岩破医師が証言した「1日6~7時間・1週6~7日作業しなければ発病しない」「なで肩という素因がある」「他の病気かもしれない」「私が診た患者はすぐよくなった」というものを根拠がうすいとして否定し、現場も見、労働者の状況もよく知っている主治医(姫野医師)や研究者(垰田医師)の証言を真実に近いものとした。

判決はこれらを総合して、小谷さんの業務と病気の間の「相当因果関係」を認めたのである。
ありのままの事実に目をふさぎ 勝手な解釈 根拠のない断定


 97年、横浜市保母・鈴木さんの「頸肩腕症候群」の裁判において最高裁は二審(東京高裁)の判決について、「因果関係に関する法則の解釈適用の誤り、経験則違背、理由不備の違法が」業務外とした結論を生み出したと厳しく指摘している。
 小谷さんの裁判における基金の主張も横浜市と全く同じようなものであり、ありのままの事実に目をふさぎ、必要以上の要件を求め、勝手な解釈、根拠のない断定を行なったものといえよう。
 この基金の態度はどの府県でもほぼ同じであり、最近のある裁判でも「頸肩腕症候群は病気ではない、現に整形外科学会は認めていない」という弁明を行っている。彼らは98年度の整形外科学会や災害医学会がはじめてこの問題のシンポジウムを開き、事実の理解と産業衛生学会への接近を図ろうとしたことに目も耳もふさいでいるのである。

3.再び被災者を出さないために

 94年の吹田市保母・東海さんの大阪高裁判決や98年の東大阪市保母・山本さんの大阪地裁判決など、保育・介護労働者に対する相次ぐ判決にもかかわらず、基金や各自治体の姿勢は依然として変わらない。
 わずかに横浜市は最高裁判決を「厳しく受け止め、職員の健康と安全に配慮をして、職業病の発生しない職場づくりへ一層の努力」を約束し、解決金の支払いとともに特別健診と事後措置の実施、安全衛生委員会の充実、休憩時間の確保、施設設備の改善、職員の確保などについての協議や公災認定作業の迅速化を図る労使確認書を交わした。

保育・教育・福祉・医療現場の労働条件、職場環境、安全衛生態勢と自主的な活動、労災補償(認定を含む)の立ち後れを痛感

 すでに労働省の「職場における腰痛予防指針」(95年)では、重症心身障害児施設や養護学校などにおける介護作業が労働者に対して「静的又は動的に過重な負担が持続的に、又は反復して加わることがある」として、介護態勢の確立と方法の人問工学的工夫の習熟、介護機器・方法に応じた作業標準の策定、介護者の適性配置、施設・設備の構造等の改善、休憩の確保などをあげている。
 また前述の「頸肩腕症候群予防指針」にも、作業方法・姿勢・動作の改善と作業休止時間の設定、休憩の利用、温度・騒音・空間などの環境改善、特別健診と事後措置、健康相談や有症者の職場復帰や配置転換、職場体操、労働衛生教育などの実施を示している。
 筆者は1968年の秋から労働組合の要請に応えて保育所保母の労働についての研究を行い、さまざまな労働条件、職場環境の改善の提案を行ってきた。
 心身障害施設や養護学校についても1976年ごろいくつかの施設について調査したことがある。
 職員は実に多忙で、作業は分断・重複し、しゃがみ姿勢が多く、休息する間のほとんどないことが印象的であった。
 当時から職場の状況はあまり変化しなかったようである。
 1990年ごろから筆者は学校教職員の過労死や安全衛生の問題にかかわるようになり、改めて保育・教育・福祉・医療現場の労働条件、職場環境、安全衛生態勢と自主的な活動、労災補償(認定を含む)の立ち後れを痛感した。

再び同じことがないように

 小谷裁判判決について京都府(特に教育委員会)がどのように受け止め、今後の認定作業や疲労性疾病の予防に立ち向かうか注目されるが、これは京都だけの問題ではなく、今も全国的に発症が続いている現状の中で、国や各自治体が真剣に取り組むべき課題であろう。
 また、現行の認定基準も実態と学問にそぐわないものであり、早急の改善が急がれる。
 労働組合もまた全体としてこの問題の重要性を認識し抜本的に取り組み、国や基金の姿勢を改めさせることが求められているといえよう。

 再び被災者を生み出さないために。

                 (1999.7.23基金側の控訴断念、勝利確定を聞いて)

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