2011年12月2日金曜日

京都府民生労働部と京都府ろうあ協会の第一ラウンドのはじまり


Once upon a time 1969

(解説)  京都府の民生労働部(当時)は、ろうあ者福祉に関する直接の担当部署であった。
 ただし、前述知事の答弁にもあるように京都府内には、政令指定都市である京都市があり、京都府民の60%近くが京都市民であった。
 従って、1966年当時の京都府の財政規模は鳥取県とほぼ同じ規模であり、その比較で考えると京都府の財政規模が分かる。これらのことをなぜ現在まで知り得ているのかと言えば、当時のろうあ者の切実な問題を解決するため全国都道府県の行財政と京都府の行財政を調べ、比較検討したからである。


行政が検討する以上に要求する側も研究していた

 それほど、要求する側も知事の言う「現実自体をよく科学的に認識して適切な措置を取る事が行政担当者の任務」とする以上の調査・研究・検討をしなければ、それまで放置されてきたろうあ者福祉の現状を打破する道はなかったからである。
 「予算がない。」「はあ、そうですか」
ということで、引き下がっていればろうあ者福祉はいつまでも発展しないという緊迫感があった。


 
福祉や教育の分野で
他府県と比べ非常な遅れがあった京都府・京都府教育委員会

 なお、以下の民生労働部長答弁で、「事務局を教育庁におきましてろうあ者のための行政懇談会を作っております。」という「ろうあ者のための行政懇談会」は、行政が主体となってつくられたものではなく、1965(昭和40)年7月13日から、1966(昭和41)3月14日にかけて京都ろう学校でおきた「写生拒否事件から3・3声明」、いわゆる「授業拒否」と京都府ろうあ協会の「3・3声明」(1966年耳の日にあたって)が契機となり、京都府教育委員会と京都府民生労働部の責任が厳しく問われた結果、行政として対応したものである。
 なお、「授業拒否」事件と京都府ろうあ協会の「3・3声明」について、45年の月日が経過した今日、多くの誤解や曲解があるので、別途とりあげてみたい。
 ともかく、1965年当時は、京都府も京都府教育委員会も福祉や教育の分野で他府県と比べ非常な遅れがあった。


手話通訳者が少ないと
行政を運営・活動する中で非常に不便を感じる

 1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議(その5)

山本民生労働部長答弁

 灘井議員の分の御質問にお答えいたします。
 知事から非常にくわしく考え方についてお話がございましたので、私からもう継ぎ足すことはない思いますが、
 まず、ろうあ者の問題でございますが、
 具体的に、通訳の養成の問題が出ております。


 まあ、ろうあ者の、私も民生労働部にまいりまして、手話を行なう方が非常に少ないという事をはじめて感じた訳でありますが、今教育長からもお話がありましたように、学校の方で口話法による教育ということが主流になっておりす関係ではなかろうかと思う訳でございますが、私達が行政として成人の方とろうあ者の方と話し合っていく場合には、手話をやれる方が非常に少ないという事は、行政を運営する活動する中でも非常に不便を感じておる訳でございます。

最も身体障害に悩んでおられる
 皆さんの意見を充分拝聴して知事と相談して

 そこでこれ又、お話がございましたけれど、今年の三月から事務局を教育庁におきましてろうあ者のための行政懇談会を作っております。
 すでに五回にわたって会議が開かれておりますし、私自身もすでに三回、四回、幹部の方々といろんなお話をしております。
 そういう中で、行政としましては、具体的にこれらの問題の解決は最も身体障害に悩んでおられる皆さんの意見を充分拝聴する中で知事とも相談して進めてまいりたいと思っております。


手話通訳の養成・ろうあ者相談員など
  早々から、何らかの方法をもって

 京都府のろうあ協会は歴史も非常に古く、しかも組織としても非常に立派でございます。
 これらの団体の方の御協力を得なければ、府のろうあ者対策というものも充分に行かないと考えておる訳でございます。
 通訳の養成、まあこれについては知事からも答弁がございましたけれども、充分検討してまいりたいと思いますし、なお相談員の問題でございますが、これも行政機関の活動が、不充分であるので、これらの方面からこれを補っていくのか、あるいはまた、行政以前の身上相談という様な、結婚であるとかまあその他の問題としてこの問題を考えていくのかという問題がございますけれども、まあ、いずれにいたしましても、明年度早々から、何らかの方法をもって充分話し合っていく中で、一歩でも前進する様にいたしたいとかように考えている訳でございます。


できるだけ自主運営が
出来るように私達が援助をする

 それから集会所の問題が出ております。
 これはまあ、灘井議員さんの方からはセンターという事でございますが、現在、ろうあ協会の方々とのお話の中では、まあ昼間はいろんな施設があるんだけれど、昼、働いて夜会合をするというような点で不充分だ。
 あるいはまた、京都市内は比較的よりやすいんだけれども、郡部が散在しておるので、集まる場所に困ると、まあこういうようなお話がございます。
 まあ具体的な支部からの問題としましては、これらの問題に対しまして府のセツルメントとかその他の施設を一日も早く話し合って実際に使って頂けるというふうに具体的に検討してもらいたい。かように考えております。
 その他団体は先程申し上げましたように非常に立派な団体でございます。
 自主運営もしっかりやって頂きますが、組織の問題としましては、できるだけ自主運営が出来るように私達が援助を申し上げ、事業的な問題については、従来にもまして積極的に御援助申し上げてまいりたいとかように考えております。

 現在やっておりますのは、巡回厚生相談の実施であるとか、あるいは、手話研究会に対する助成であるとか、あるいはろうあ協会自身の事業に対する助成というような事でございます。

  以上の1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議の答弁を受けて京都府ろうあ協会は、大きな運動を展開して行く。

 


そして、もともと何もないと言っていいようなろうあ者福祉の「無色」に「さまざまな彩り」を加えていくことになる。


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