2013年11月23日土曜日

エリート インテグレーション 教科を教えるのは親の責任



   ( 早期教育・インテグレーション・言語指導への教師親の反論 1 )

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

  教科については親が責任 
  社会性を身につけることが小学校の教師の責任

 ろう学校幼稚部を卒業した子どもたちは、大きな集団である地域の普通小学校通学することで、社会性も見につき育てられるとされていた。

 教科については親が責任を持ち、学校は友だち関係の中で育つようにする。
 さらに、社会性を身につけることが小学校の教師の責任とされ、ろう学校幼稚部ではその課題を任せていた。


   どちらかが仕事を辞めざるを得なかった

 ここでは、親の経済力はまったく考えられていないばかりか家庭環境も考えられていなかった。

 経済的に困難な親は、5歳までに聴覚障害のわが子に教育をしないと一生子どもが困ることになる。
 聴覚に障害があると分かってあらゆる所をまわったが、結局幼稚部にすがるしかなかった。

 親同伴の幼稚部教育では、両親が働いていた家庭ではどちらかが仕事を辞めざるを得なかった。それは、また経済的な困窮を生みだしていった。
 ほとんどの家庭では、母親が仕事を辞めていた。


  お父さんが幼稚部に付き添い
      休みの日には単身外国に行き商売


 



6年ほど前、N県のお父さんとたまたま別のことを話していて、娘さんが聴覚障害があったので幼稚部に通うときに、お母さんが仕事を辞めるか、お父さんが仕事を辞めるかの深刻な話しになった。

 結局、お母さんは、資格を持っていてお母さんのほうが収入が多かったので、お父さんが仕事を辞めて幼稚部に付き添った。

 そして、夏休みなどを利用して単身外国に行きある品物を買って販売する仕事をはじめたという。

 「低開発国」と言われる国に行って、話が充分分からないまま仕事をはじめていたが、「物乞い」をする子どもたちが、家族を支えているために働いていることが理解出来るようになった。

 さらに、その子どもたちの中に多くの障害児がいることも。
 彼らには、いじめはなく、どんなに貧しくても助け合っていることが分かって胸が熱くなった。
 当然、自分の子どもと同じような聴覚障害の子どももいた。


 仕事を辞めて新しい世界に飛び込んで、日本と「低開発国」と言われている国々の教育を考えるようになった、と話された。
 

  裕福な家庭との違いが子どもに現れていたが

 裕福な家庭は、子どもに家庭教師をつけ予習、復習をさせていたが、経済的に困難を抱える家庭では、とてもそんなことは出来なかった。

 当然、普通校の中で学ぶ聴覚障害児の子どもたちに差が出てきた。

 
 もともと、教科は学校ではなく家庭でするということ自体矛盾がありすぎた。

 しかし、ろう学校幼稚部では、普通校に行った生徒には、何らかの形でアフターケアをするということになっていた。
 このアフターケアを良心的に行う教師と「付け届けなど」を当然とする教師があったが、それは決して表面化しないタブーであった。


 ところが、1973年3月に卒業するよう幼稚部生徒に対して、ろう学校では進学先の小学校の発音指導はしてはならないということが突然出されてきた。

                                                            ( つづく )

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