2011年9月1日木曜日

ILO(International Labour Organization)国際労働機関(スイス・ジュネーブ)に行こう。そして日本の教職員のいのちと健康問題を訴えよう


山城貞治(みなさんへの通信72)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その52)


公務災害認定が裁判で認められても 責任はないという府教委

 京都府高は、障害児学校のけいわん(頸肩腕障害)・腰痛裁判で公務災害認定を勝ち取ってきた。

 だが、京都地裁判決の
「(四) 本件職場の環境の不備による過重性
 本件職場には、次のような問題があり、これらが教員らに過大な負担を与えていた。
 (1) 教室数が不足していたため交替で教室を使用しており、教室設備も不充分であった。そのため、学習活動に必要な大きな教材を、授業ごとに授業準備として自ら運び、片付けなければならなかった。
 (2) 原告の発症当時、本件職場では、頸肩腕症候群に対する予防、発見、治療対策がとられていなかったため、重症になるまで事実上放置されていた。」

などは改善されることもなく、府教委は、「あれは公務災害支払基金の問題だ。」と何ら反省し、改善する動きは見られなかった。」

灯油を運ぶ途中で亡くなられた
 

 その様なとき、2000年7月にB高校から次のような報告があった。
 昨年度、現職死亡が2名ありました。
 一人は、英語科のA先生。もう一人は、定時制の用務員さんの二人です。A先生はクラブ指導中、用務員さんは灯油を運ぶ途中で亡くなられました。
 また、昨年度は長期入院が6人ありました。
 それぞれ直接的原因はいろいろありますが、その背景には我々の仕事が非常にきつくなっていることがあげられるのではないかと思います。


グランドで倒れ 救急車で運ばれ亡くなられた

 ここではA先生の現職死亡の問題を話したい。
 先生は、1年の担任をもっておられました。

 非常に熱心な先生で、入学式から終業式まで学級通信をずっと出し続けておられました。
 学級通信の中には、自作の小説も連載され、生徒も楽しみにしていたました。
 クラブは、サッカー部の顧問をされ、サッカーの指導も大変熱心でした。
 亡くなられた日は、3月19日(日)で、B高校でサッカーの試合がありました。

 先生は午前中の試合で審判をされ、午後は生徒のメンバーが一名足らないということで先生が試合に出られた。
 5分程たったあたりで倒られ、救急車で運ばれそのまま亡くなられた。

なんとかならないか
  とあまり発言されないA先生でさえ言ったのに

 このA先生の亡くなられた背景を考えてみると、今の学校現場は非常に忙しくなっていることがあげられる。
 学期末、年度末のスケジュールが、昔では考えられないほど過密になって来ている。このことについて、日頃職員会議ではあまり発言されることのなかったA先生が、年度末の行事計画を決める職員会議で発言されました。
「これでは、年度末の成績処理が難しい、なんとかならないか」
という意味の発言をされました。

 クラブ顧問をしておられる先生は、日曜など休日に練習、試合が入り休みがつぶれる場合が多い。
 そして、その代休が事実上とれないのが現状です。
 それに、昔はなかったコンピュータも入って来ました。

 そのため楽になったということはなく、かえって仕事は一層過密になり厳しくなって来ています。  また、数年前から、一年生宿泊研修、夏の学習合宿、進学補講、基礎学力補講、それに、最近は「授業時間の確保」ということで、学期末ぎりぎりまで授業、その間に試験、採点、成績をつける、教師の仕事は非常に多忙化しています。

お世話になった府教委に楯突くことは出来ないと
      公務災害申請をためらう

 A先生のことについては4月に校長に交渉の申し入れをし、5月11日に話し合いをもちました。
 その中で校長からは「年間行事計画については再度考え直す。
 行事計画を組むとき担任の先生の仕事を中心に考えて行きたい」という回答を得ました。
 また代休については、「半日単位でとってほしいが、1時間でも、2時間でも可能な限り取れるところから取っていただきたい」ということでした。
 これ以上過労死や長期入院を出さないためには労働安全衛生委員の役割が重要になってきていると思っています。
 B高校では労働安全衛生委員について、分会から2名、本校・分校・定時制からそれぞれ1名ずつ選出することを決めています。
 安全衛生委員会を早く決め健康問題に取り組んでいきたいと思っています。
  という報告だった。
 府高労働安全衛生対策委員会は、直ちに公務災害申請の相談を遺族と話し合ったが、公務災害申請は「お世話になった府教委に楯突くことになる……」という遺族の強い意見で申請は困難を極めた。

絶好のチャンス ILO本部の見学・意見交換と行う

 そんな時期に牛久保秀樹弁護士からの手紙が届いた。

 「ILOからは、ILO教育局のビル・ラットリー氏から了解との連絡が来ています。ILO側からの立場でレクチュアーを受けて、ILO本部の見学・意見交換と行う予定です。ユネスコには今申し入れています。フランスのミホシボーさんにコンタクトをお願いしています。国旗・国歌法の制定、学校教育法の改定、条例による勤務評定制度の導入を見るとき、日本の法体制そのものを国際基準により批判していくことが必要と思われます。今回のILO、ユネスコ訪問が教員の現場に国際基準を適用させていく重要な機会となることを願っています。」
という内容だった。

この手紙を受けて府高では、「教職員のいのちと健康・教育の自由・教職員の生活・教育制度に対する教職員組合の参加など『「ILO・ユネスコ 教員の地位に対する勧告」について京都の現状を訴えにジュネーブ(ILO)・パリ(ユネスコ)へ行こう!!』と呼びかけた。

  すぐに応じて来たのは、障害児学校の腰痛裁判で勝利を勝ち取った教職員だった。

「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。

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