2012年1月19日木曜日

くすぶっていた火種から 火花が飛びはじめた


Once upon a time 1969

 焼肉をつつく中で新しい勇気に火がついた

「ろうあ協会役員交渉や話し合いだけではダメなんだ。みんなと一緒に京都府や京都市と交渉しようではないか。」
「みんなの知恵と力も借りよう。」
「みんなに、行政の言っていることを直接知ってもらおう。」


と言うことで意見がまとまった。
 その時、ナゼか、炭化しかけた焼肉があっという間に平らげられ、のれんをくぐって帰る時のみんなの表情は明るかった。


     事態を甘く見ていた京都府の幹部は簡単に承諾

 それからは、二つの困難が待ち受けていた。
 一つは行政。


 それまで、部や課の隅っこで話していたのが、大きな会議室をようにしてほしいというろうあ協会の要求。
 なにもそこまでしなくても、部屋を借りるのは大変だ。
 庁舎では限られる。
 場所を借りるのにはお金がかかるなどなど言っていたが、まさか大事にはなるとは思ってはいなかった。
 結局、まあ、どこか大きな部屋でも借りようか、となり、ろうあ協会の話し合いは、会議室を借りると回答されてきた。

「ひえっ、役所に言ってもかまへんの」

 行政は、それですんだが大変だったのは、ろうあ協会の役員であった。
 今日は南でろうあ協会の支部の集いがあると分かれば、そこに行き、交渉の全員参加を訴える。北は、どこどこ行ってとすべて歩いたり、列車バスを乗り継いでの連絡であった。

 ひとりひとりに会って説明する時間と労力は、今日では信じられないほどの困難さがあった。
 でも、ひとりひとりに会うことは、心が通じあうことでもあり、ろうあ者から自分はこんなことで困っている交渉の時、話してもかまわないか、と言う声のように新しい具体的要求も出てきた。


「いいよいいよ、いったら」
「かまへんの(いいの?)」
「かまへん、かまへん」
「ひえっ、役所に言ってもかまへんの」


 はなしはどんどん広がり、「仕事が終わっても、とても参加できないがどうしたらいいの」という相談も次々寄せられるようになって来た。

京都府ろうあ協会
はじまって以来の
大規模な京都府との交渉

 ろうあ協会の役員は、みんなから出される参加するための困難を、ひとつひとつ解決するように努力した。

 同時に、ろうあ協会の要求書、京都府・市の回答などももう一度みんなでひとつひとつ相談し、学習し合った。
 そして、京都府ろうあ協会はじまって依頼の大規模な京都府との交渉がはじまった。1969年のことである。

 初めての大規模交渉は、京都府立勤労会館の会議室(100名規模)に約140名のろうあ協会会員が集まった。



  席を譲り合う中でも、多くのろうあ者が立ち見席にならざるをえなかった。

 満員。

 京都府の幹部は、そんなにはくるはずがない、と思い込んでいただけけに続々と詰めかけるろうあ者をみて、次第に自分たちが甘く考えてきたことにたじろぎを示したが、今更どうしようもない状況に追い込まれた。

 そして交渉(ろうあ協会側の言い方。京都府はあくまで話し合い、と言っていたが。)がはじまった。
 

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