2012年1月24日火曜日

ひとつひとつに思いを込めて ひとりひとりの京都府職員に思いをたくす


Once upon a time 1969

人々が陽炎に見える早朝 ぞくぞく集まるろうあ者
 
 秋口と言っても京都の9月は大地から熱が立ち込める。

 その熱が朝になっても消えることはない。
 人々が陽炎に見える早朝。
 集合時間よりも1時間以上も早く続々とろうあ者かが京都府庁に集まってきた。


 それぞれ、4カ所に別れて、ろうあ協会のビラをもつ。

 「生きがいのある障害者の暮らしをきずくために 障害者の要求にこたえた京都府政をさらに発展させよう。社団法人京都府ろうあ協会」

というタイトルの京都府職員みなさんへというビラである。



    不安で眠れず、複雑な気持ちは共通
           真剣だったが初めての経験

 夜を徹して印刷されたビラは、1500枚を超えインキも充分乾ききっていなかった。
 各4カ所では、それぞれビラの中身が説明された。ウンウン、ソウソウ、みんな満足していた。
 集まったのはろうあ協会役員だけでない。

 主婦、青年、そして遅刻すると賃金カット、皆勤手当ゼロを覚悟したろうあ者があまりにも多かった。

「遅刻したらお金減るやんか。」
「カマヘン、カマヘン」
「遅刻認められたん?」
「課長がカンカンになっている様子やったけど、今日はマカせて。」


 みんな真剣だったが初めての経験。
 不安で眠れず、複雑な気持ちは、共通していた。


  初めてのビラまき ひとつひとつに思いを込めて
     ひとりひとりの職員に

 
 京都府職員は、府庁の正門からやってくるとは限らない。

 4カ所の入り口から入ってくると事前の調査で分かっていた。
 ひとり、ふたり、と京都府職員が京都府庁にやってくる。
 ろうあ者は必死になって駆け寄り、受け取ってもらえると大喜びした。
 「あー読んでくれている。」
たちまちろうあ者は笑顔になった。


 続々とやってくる府職員に、だれひとり渡せないことがあってはいけないとろうあ者は必死だった。
 どどっとおしよせる府職員。
 必死になって頭を下げてビラを手渡すろうあ者。
 一度、府庁に入った職員が駆け込んできた。

 「もっとください、出張に出ていない人にも渡しますから」
との申し入れだった。
 ろうあ者は、手話で合図をしながら大喜び。
 時間はあっという間に去り、みんなは仕事場に駆け出していった。


  私たちにとって見すごすことの出来ない
    誤った差別的見解の表明をうけた

 1969年9月8日の出来事であった。

 ビラには次のような事が書かれていた。

 私たちは、8月30日。
 京都府社会課を中心とした福祉関係者との交渉を持ちました。
 その目的は、今度、私たちの努力と京都市の援助によって発足の運びとなった、京都ろうあセンターの運営に関し、府の責任と方針を明確にし、併せて、私たちの日常の生活に欠くことのできない、手話通訳制度の確立をはかるものでした。
 蜷川知事は、基本的に私たちの要求を支持しておられます。
 このことによってよって私たちは、府の積極的な姿勢を期待しておりました。


 しかし、社会課の解答は、私たちの要求について京都府社会福祉対策協議会の答申待ちという、誠意のないものであるだけでなく、福対協事務局長から次のような私たちにとって見すごすことの出来ない誤った差別的見解の表明をうけました。

  社会福祉対策協議会の問題点

 蜷川知事は、身体障害者対策の確立をはかるために、京都府社会福祉対策協議会を設置されました。
 これは、私たちにとって大切な要求を反映させる拠点として評価しております。
 しかし、府交渉の席上で、当の福対協の事務局は、私たちの切実な要求の答えて、
「障害児者の発生予防を重視する」
という発言を行いました。


 これでは、身体障害者に対する社会保障が十分にととのっていない今の状況と社会的偏見と、結婚してもまだ親の経済的援助にたよらねば生活していけない低賃金の中で、自分の希望で子供を生むことすら出来ないろうあ者の悲痛な要求に対して、

「その通り子供を生まさせない対策を考えている」
という冷酷な答えになりかねません。

                                                                                                ( つづく )


                





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