2013年8月13日火曜日

国際的基準に 一致していたろう学校高等部の生徒の要求 ( 生徒たちの要求 授業拒否事件から学ぶ 2 )



   
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 

生徒の真に教育を受けたいという要求を
                               差別認識にすり替えた「逃げ」

 ろう学校の生徒の要求に応えずろう学校、ろう学校長は、

「高等部における指導上の上で『差別』と受けとめられる事例が発生しました。無意識ではあったと思われますが、これはきびしい教育の反省の上に立って、今迄に現れたことは『差別』であったと認めます。」(聴覚障害者福祉の源流 文理閣 )

とろう学校、ろう学校長は、ろう学校生徒の当然な授業要求を無視して、「差別」があったことを「認定」して、学校での授業要求を無視して事態を収めてしまうった。
 
 すなわち、ろう学校の「授業拒否事件」の背景にあった高等部生徒たちの当たり前で切実な

教育を受けたい、

という要求が、生徒指導上

 差別があったか、なかったか

ということに「すり替え」られ、最終的に差別認識や差別認定で幕が下ろされてしまった。

  このことは、ろう学校高等部の生徒の授業はさほどたいしたことではない、と軽んじる憲法に保障された教育の機会均等、ひとしく学ぶことを踏みにじるものであり、ろう学校の生徒への「差別的授業」容認することではなかったか。

 すなわち、ろう学校の生徒に対する差別的授業が存在していたのである。
  差別的授業が行われていると認め、教育内容や授業のあり方を改善すべきだったのである。

 差別認識論に問題をすり替えないで、生徒の言う「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」と言うことに応えるべきであった。
 

  検討と実践されただろうか
     ろう学校高等部生徒の7つの要求

1、「授業がよくわかるもの中心であり、こうした差別には納得がいかない」を、生徒を差別することなく、授業がよくわかる生徒にも、よくわからない生徒にも、ひとしく授業実践がきめ細かくなされ、どの生徒もわかる授業が実践が追求されるようになったのか。

2、「一生懸命に質問に答えても、先生は聞こえないふりをする」ことに対して、質問に答えている生徒に対して、充分聞き取る、聞き取ろうとしたのか。またそういう努力をしたのか。先生が、聞き取れないのは、「生徒の発語能力が悪いからだ」などと決めつける考えを基本的に改めたかどうか。

3、「授業の始業時間をきっちり守って教室に来て欲しい」
授業をするという学校では、当たり前のことをすべての教師が授業時間を守ったか、どうか。


4,「手話で教えて欲しい」
手話を使って授業をしている教師も少なからずいたのだから、手話で授業をする方法を受けとめ、改善したのか、かどうか。
 少なくとも、生徒たちが使っている手話を学習し、コミニュケーションとして重視したかどうか。


5、「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」
教科書をただ黒板に書き、生徒にそれを書き写すだけの授業だけではなく、生徒に指摘される以前に、教師の努めである授業研究をしたのかどうか。


6、「私たちと先生は仲よく勉強したい」
教師と生徒の立場は別であるが、生徒からのもっと話し合いたい、職員室に閉じこもっていないで私たちともっと話し合ってほしいという要求に応えて、生徒との気持としての交流がされたかどうか。


   自分たちの先輩から学んで
  「何のために勉強するのか」という疑問を提出

7、「何のために勉強するのか、その目的について話してほしい」
 この要求の背景には、教育の基本である教育の目的とそれぞれの教科目標をきちんと生徒に示して、授業を進めたのかどうか、


が問われる。

 特に、生徒たちの気持ちにあったのは、京都の高校生との交流を通してろう学校高等部には職業学科と別科だけしか無いという問題意識が次第に強くなっていた。

 教えられている教科も教科名は高校課程の名称が使われているが、その内容は小学校や中学校程度でで、普通高校課程の授業が行われていないという疑問・問題意識があった。

 さらに、職業学科では聴覚障害があるから早くから「手に職をもつ」ようにして、社会で生きていかなければならない、と何度も教えられてきた。
 だが、卒業生の状況を見てみると、例えば紳士服科を出てどれだけの人が紳士服関係の仕事に就いているのか。
 ほとんどが、職業学科で学んだ=手に職を持つ ことと別の仕事についていて健聴者よりはるかに低賃金で働いている。
 紳士服の仕事に就いている人でも朝から晩まで高級紳士服を縫い続けているが、寝るまもなくみんなと話し合う時間さえとれない。

 そればかりか、高級紳士服を縫い上げているにもかかわらず手間賃はきわめて安い。店が、ほとんどの利益を得ているではないか。
 
 どんな圧力や誘惑にも切り崩しにも
       屈することなく一致した力の形成

 ろうあ協会人々と会うにつれ、ろうあ協会の会員の不満や怒り、嘆きが、即自分たちのこととしてジンジン胸に迫ってきた。

 
  ろう学校高等部の生徒たちは、この時期中学部の先生たちの援助の基に自主性とともに健聴生徒高校生と交流し、学び合いつつ、同じ聞こえない人々から学び自分たちの置かれている状況と明日と未来を考えるようになっていたのである。


 青年期にこのようなことを知ったから、彼らはどんな圧力や誘惑にも、切り崩しにも屈することなくみんながみんな手を取り合って自分たちの意思を守り通したのである。

  1966年  ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告  は    ろう学校高等部の生徒を鼓舞するものだった

 ろう学校で「授業拒否事件」が起きた同時期に、ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告(1966年9月21日-10月5日 ユネスコにおける特別政府間会議)が出されている。
 

 ろう学校生徒の要求と関連する部分だけを列挙しても次のようなことが国際的に「勧告」されている。(以下、LO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告抜粋)

 3 指導的諸原則


「 教育は、その最初の学年から、人権および基本的自由に対する深い尊敬をうえつけることを目的とすると同時に、人間個性の全面的発達および共同社会の精神的、道徳的、社会的、文化的ならびに経済的な発展を目的とするものでなければならない。これらの諸価値の範囲の中でもっとも重要なものは、教育が平和の為に貢献をすることおよびすべての国民の間の、そして人種的、宗教的集団相互の間の理解と寛容と友情にたいして貢献することである。」
 

4 教育目的と教育政策
「それぞれの国で必要に応じて、人的その他のあらゆる資源を利用して「『指導的諸原則』に合致した包括的な教育政策を作成すべく適切な措置がとられなければならない。」
「(a)子供ができるだけもっとも完全な教育の機会を与えられることは、すべての子供の基本的権利である。特別な教育的取扱いを必要とする場合には、適正な注意が払われなければならない。」


8 教員の権利と責任
「教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。」


「教員は、生徒の進歩を評価するのに役立つと思われる評価技術を自由に利用できなければならない。しかし、その場合、個々の生徒に対していかなる不公平も起こらないことが確保されなければならない。」

 以上のことだけを見ても、ろう学校の生徒が要求したことは、生徒の権利と言うよりも国際的には教師の権利としても当然のこととして受け入れられるべき者であり、教員の権利と生徒の要求はまさに一致していたのである。

「私たちと先生は仲よく勉強したい」
という要求は、LO・ユネスコの国際的方向とまさに一致した要求であったのである。
                                      ( つづく )
 

0 件のコメント: