2013年8月2日金曜日

決して不可能なことではない先生と生徒にある「みぞ」「壁」をなくすこと ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(7)



 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  1965(昭和38)年聾学校高等部生徒会校内討論分科会記録より
 授業についての高等部生徒の討論まとめ

 心からの叫び 楽しく はっきり理解できる授業を

 すべての生徒は、現在の授業に大きな不満をもっています。
 これは学習意欲の減退に関係があります。
 生徒はエスケープなどの方向にはけ口を求めているのです。

 もっと楽しく、全員がはっきりと理解できるように教えてほしいというのが全員の切実な心からの叫びでした。

 無理に 分からなくても分かった

 現在における授業のあり方に対する,不満とは、教え方に対する.不満であり、先生の授業中の態度に対する不満です。

 先生の話が何故理解出来ないのか。

 それは理解出来るように教えて下さらないからだといっています。

 また、一部の生徒から、先生の話は教科書通りで、何の興味もわかない。

という意見もありました。

 理解出来ない時は質問すればよいといわれるが、生徒の立場に立てば、わからなくても、先生に「わかりましたか」といわれたら、わかったような顔をするのも無理はないでしょう。

 えこひいきする先生への不満

 先生の態度に対する不満は、一番大きなのは、えこひいきに対する不満です。
 発声のよい生徒、

 先生の質問にすぐ答える生徒、

 頭のよい生徒のみに焦点をあてて、授業を進行させられる先生に対する不満、

 生徒の質問に耳を傾けようとされない先生の態度に対する不満、

 授業時間におくれてこられても、平気でおられる先生の態度に対する不満、

 その他いろいろとありました。

    先生と生徒はもっと話し合おう

 教える者と教えられる者についての高等部生徒の討論まとめ


 先生にも手話を覚えてほしいという意見が沢山ありました。

 教える立場にある先生と、教えられる立揚にある者の間に、みぞ、あるいは壁があっては教育は出来ないのではありませんか。

 また、先生に手まねを覚えてほしいといっても、それは無理ではないかという意見もありました。

 しかし、それはともかく、先生は職員室にとじこもっているのではなく、もっともっと、生徒と話し合うべきです。

 生徒も

 「もっと生徒と話し合うように」

と注文するだけでなく、

自分達から積極的に先生に近づき、話し合っていこうという意見もあり、両者が努力すれば、決して不可能なこととは思われません。

 しかしながら、そのきっかけがない現状では何も出来ないままとなっています。

  楽しく学習できるための具体的提案

 みんなが楽しく学べる場とするために

 生徒全員が、みんなが同じように楽しく学習したいと望んでいるのは事実です。
 では具体的にどうすればよいのか。
  みんなの意見をまとめてみました。

 まず、先生と生徒が努力しあうことによって、言葉のみぞをなくすることです。

 次には、先生の指導方法に誠意と熱意がこもっていること。
 

  えこひいきのない教え方。

 教え方の研究心があること。

 生徒も先生の熱意と誠意にこたえることです。

  総合的な能力を身につけ
 ろうあ者の孤立した世界からぬけ出し
   みんなと一緒に考え、行動を

 何のために学習するのかについての高等部生徒の討論まとめ

 耳の不自由でない人達と同じようになるためという意見がありました。

 しかし、正しい日本語を身につけていない、また、聾学校の勉強すら満足に理解していない自分をよく知っているから、自分の将来を考え、何の目的ももっていない生徒が大部分でした。

 将来とは、悪い条件の職場で働くことです。

 この責任はだれなんでしょうか。

 ある一人の生徒は、みんなと仲良くするためという意見を出しましたが、その意見は大いに学習し、総合的な能力を身につけ、ろうあ者の孤立した世界からぬけ出し、みんなと一緒に考え、行動しなければならない。

  そのために学習するのだと言うことでした。

 私達は、大変大切な意見のように思いました。 ( 以下略 )


※ 1965(昭和38)年にこのような生徒たちの授業に対する不満とともにその改善を図る具体的提案がされていたのである。

 対立を亀裂としてとらえることなく、対立を統一的に考え、それぞれの立場を尊重し合う考えが率直に高等部の生徒自身の中から出されている。
 教師の立場、生徒の立場をわきまえつつ双方が出来るところから授業をすすめてほしい、それは無理しない自然で明日にも実現できる提案だった。

 
 そのことに背を向けた教師や学校側の深刻さが、くっきりと浮かび上がる。

 
 「ナニナニだからコウシナケレバナラナイ」
 「なにがなんでも シンボウシナケレバナラナイ」
  「学校を出ても悪い条件の職場で働くことになるからコウシナケレバナラナイ」

 といったガンジガラメの考えに立つのではなく、そのガンジガラメからの解放が自由にのびのび語られている。

 この心底学びたい、という要求になぜろう学校の教師やろう学校が応えられなかったのか。
 ここにろう学校の抱えていた重大な問題があると言えるのではないか。


 1960年代に提起された問題が、1970年代以降どれだけ実現され、改善されてきたのかを考える目安がここにある。

 生徒たちは、決してろう学校は特殊だ、とは言っていない。

 むしろ教師の側にそれが残り続けていること、それが現代まで伝承されているところに問題の根深さと深刻さが横たわっていると言わざるを得ない。

 すべての子どもたちに等しく教育を。
 愛人に会うようにいそいそと行ける学校を。
 楽しい学校分かる授業。
 うつるから手を取り合っての共同教育。


 それと同じことが、生徒たちから出されていたのにろう学校では。

  それが実現されたとは言いがたいのは、なぜなのか。
                                                        ( つづく )
 



 

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