Once upon a time 1971
ある日。ふとカウンターを見ると、保険証書事件の外交員の妻の夫が来ていた。身体障害者手帳の交付の申請だった。そして、交付されたら連絡がほしいということで帰った。
工場の機械に右腕が挟まれて
交付を連絡すると右腕を失った青年とともにやって来て、青年に聞こえないようなひそひそ声で厚顔無恥にも
「工場の機械に右腕が挟まれて、右肩から切断した。 会社の責任になるので、気を紛らわすために、女かなにか、ないか。」
と私に言ってきた。
この前の件での詫びもないのか、それどころかなんという言い方だ、と思って黙っていた。
市が誘致した大企業の労務管理の責任者だったとは
青年は、なにも知らずに福祉のことを私に頼んでいると思い「よろしくお願いします。」と頭を下げていた。
青年にはなんの罪もない。
それどころか、若くしてガッシリたくましい身体から右腕付け根から引きちぎられた哀しみは、耐えようもないだろう。
絶望の淵にいる、と思った。
「ところであなたはどちらさんですか。」とわざと外交員の妻の夫に聞くと、名刺をさっと出した。
市が誘致した大企業の労務管理の責任者の肩書きだった。
この企業は、毎年労働災害で障害者になった人が多く、身体障害者手帳を交付した社員は多くいた。
労働災害があるとこのようなことをするのが、この人の仕事か、と分かると保険証書事件が起きたとき「裏から手を回していたのでは」と思えてならなかった。
あの時、なぜ係長が一緒に行くようにい言ったのかぼんやり分かってきた。
田舎の田舎の中学校をでて なにも知らんからな
青年の置かれている状況もあるので、「福祉でやれることがあれば、本人さんに連絡します。」と言ってことを納めようとすると
「会社の責任と思わないようにな」
「田舎の田舎の中学校をでて、うちの会社に入ったからなにも知らんからな。」
まで露骨に言ってきた。
そこらにあるものをぶちまけたかったが、役所ではそうはいかなかった。
その日は、冷や酒を一升以上飲んでも酔えなかった。
青年がいろいろなことを知っていたら、ただですまないことは承知で言う言い方。
保険証書事件を何ら反省していないばかりか、妻も夫も障害者の「弱み」につけ込んでのさばっている。
帰り際、上司から「あんじょうな」と言われたのも無性に腹が立ってきた。
役所も「つるんでいる」と思われても仕方がない言い方だった。
仕事だけの生活から旅行に行けるなんて、と喜ぶ青年の姿
なにが、「あんじょうな」なんや。
切断された右腕が戻るための「あんじょうな」ではなく、黙らせるための「あんじょうな」じゃないか、と思ったが、青年の気持ちを考えて労務担当を抜きに幾度となく話し合った。
田舎から大企業への就職。みんなに励まされ、一生懸命働いてきた。会社と寮の往復。街に出たこともない。お金は仕送りをしていた。今度の事故で、休めてお金を貰えるなんて…。青年の話にことばを失った。
彼は、スポーツが好きで走ることは楽しかったという。そこで、身体障害者のスポーツ大会に出てみないか、と言うと、「え、出られるんですか。旅行も行けるんですか。」との返事。
リクレーションもあることを言うと「ぜひ参加したい。」と言い出した。
金メダルのまぶしさにある哀しみ
それから、大会要項、申し込みなどの手続きを一緒にしたが、生真面目な青年は早速練習を始めていた。
そして幾度も
「右腕がないと前のように走れない。」
「バランスがとれないで、まっすぐ走れない。」
と悩みを打ち分けてきた。
右腕が奪い去られたことが、次第に実感して悩みが増えたようだった。
そして、府大会から全国大会に出て、彼は金メダルをぶらさげて帰ってきた。
市長への報告をする表情は、金メダル以上にまぶしかったが、その輝きに寂しさを感じざるを得なかった。
それから、全国大会で知り合った障害者とともに障害者団体の集まりには彼の姿がいつもあった。
「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。
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