『聴覚障害』誌2007年6月号に
「特別支援教育という構造改革に聾学校がどう立ち向かうか」
というテーマで愛知教育大学の都築繁幸氏が重要な問題を提起している。
「特別支援学校」に改められたのは
政府の財政改革の一環であり、政治主導
都築氏は、
2007年4月1日から特別支援教育体制への制度的な整備が行なわれ、これまでの「盲・聾・養護学校」が「特別支援学校」に改められることになった。
今回の一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。800兆を越す政府の累積赤字は、事実上の財政破綻とも言えるべきものである。
アメリカの現実を「空想的だ」と言っていた人々
私は、1984年から86年にかけて米国で生活していた。
時の米国政府は、双子の赤字に対処するために必死であった。
その2年間、米国内の多くの聾学校を視察した。
聾学校のセンター化、個別の教育支援計画、聾学校の統廃合等の海外情報を国内に流しても聾学校関係者や聴覚障害の研究者は、ほとんど無関心であった。
その後、1989年、1990年に米国を訪れた。
それらをまとめて「21世紀の聴覚障害児教育をめざして」という小冊子を全国心身障害児福祉財団・難聴児を持つ親の会から1991年2月に刊行した。
その中で「聾学校機能拡大論と聾学校機能併設論」という観点から聾学校の存在理由を考察してみた。
当時の校長会(注:聾学校校長会 )のある先生や教育界のOBの先生は、
「本当にそうなるのか、空想的だ」
と話されたことを思い起こす。
北米に追随する日本は同じ道をたどる
そして1993年から3ヶ月間、カナダの多くの聾学校を視察した。
聾学校の閉鎖問題が相次いでいた。
1990年当時、今日の我が国の教育改革を誰が想像していたであろう。
「日本は金持ちだ。聾学校は維持できる」
と当時の関係者は、予想していたし、外国は外国、日本は日本というスタンスであったように思う。
我が国の教育界が北米を追従した政策をとっている限り、聴覚障害教育にあってもやがて北米と同じ道、すなわち、聾学校の規模縮小という道をたどることは必至であろうと思っていた。
数年後に「特別支援教育」の本質は急浮上する
今回の法改正により、制度上の名称は、「○○立○○聾学校」から「○○県立特別支援学校」となったが、通称として、従来の名称である「○○県立○○聾学校」を使うこととしている場合が多い。
そのためか、教育関係者の中には、「何も変わらない」と思っているようだ。
聾学校卒業生の中には、「母校がなくなる」、「『ろう』という言葉を残して欲しい」という要望が見られるが、国民的な関心を引いていないし、運動も盛り上がっていない。
ここ数年は、大きな変化はないかもしれないが、10年後には問題は急浮上するであろう。
2017年頃に新築養護学校の校舎の耐用年数が切れるときに
1979年に養護学校の義務制がなされ、多くの養護学校が新設された。
2017年頃には各地で当時、新築された養護学校の校舎の耐用年数が切れる時期にさしかかる。
2007年問題は、団塊の世代の退職問題で揺れたが、2017年問題は、特別支援学校の建設問題で揺れるであろう。
事実上の聾学校の統廃合問題に直面する。
アメリカのインクルージョン政策は
「通常教育主導主義」を根拠に予算の削減が目的
先人は、聴覚障害児が社会で活躍できるよう労苦を惜しまず、邁進してきた。
それは確かである。
米国では、インクルージョン政策を採用している。
盲・聾・養護学校が莫大に使っている予算を削減をするのに都合の良い「通常教育主導主義」を根拠に連邦政府が進めている。
盲・聾・養護学校から通常学級に予算を回したいのである。
「アメ」と「ムチ」のアメリカ 「アメ」のない日本
米国独特の手法である「アメとムチ」の政策である。
右手に障害者の統合政策というアメ、左手に予算削減というムチを同時に出している。
我が国においては、理念としてアメは提示されているものの現実はムチのみである。
というのも「援助付き統合教育」を推進していないからである。
「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられているが、我が国の財政破綻の危機を乗り越えるために生まれたと言っても過言ではない。
都築氏の指摘は、極めて具体的で明解である。
教育行財政の分析もある。
そればかりか、実際にアメリカに行き調査・研究した立場からアメリカにおけるインクルージョン政策の目的を明らかにしている。
何故こうも窪島氏の賛美とまったく異なって来るのであろうか。
800兆を越す政府の累積赤字と事実上の財政破綻を考えないで、「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられていることを信じているからであろうか。
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