5,さらに窪島氏は、「不登校・登校拒否児童生徒に対して,「学校は来るべきもの」と「いう教師の常識が鋭く対立した時期」をいつの時期だとするのだろうか。
数十年前ならいざ知らず、現在では何らかの民間機関やさまざまな取り組みによって
「見なし登校」「見なし出席」
がなされ、まったく義務教育を受けない生徒も、学校に行ったことのない生徒も卒業したとされている。
いのちと血と、汗のしたたり落ちた
非常に長く苦しい運動をしなければ保障されなかった義務教育
「就学免除の変形した義務教育」
が、ここには存在する。
「就学猶予・免除をなくし、すべての子どもに教育を」
「義務教育の完全実施を」
といのちをかけてうんどうした障害児者やその親が中心になって教育運動をすすめたことを窪島氏は触れようともしない。
「すべての子どもに教育を」
という運動は、障害児者の教育権保障を要求しただけではない。
まさに、すべての子どもに教育を、といういのちと血と、汗のしたたり落ちた非常に長く苦しい運動であった。
それのため文部省はそれを受け入れざるを得なかったが、完全に受け入れたわけではない。
当初から、消極的であったが、すぐ巻き返しの政策を打ち出している。
エリートからみた現在の義務教育
窪島氏が責任者となるキッズ○○も学校出席にカウントされるし、深夜の零時前に校門に入り、零時を過ぎると校門を出ると2日間の出席とカウントされる。
ある所に行けば出席とされるなどの現在の義務教育方式は、
「学校は来るべきもの」となっていず、
「学校は来なくてもいい」
とされていることも、知ってか、知らないか、窪島氏は、「学校は来るべきもの」と言うことを前提にしている。
現在の義務教育段階は「学校は来るべきもの」とするほうがまだ、義務教育を考えているのだ。
エリートから現在の義務教育を見るから「学校は来るべきもの」として、内実は学校なんて行かなくてもよい、と言うのが彼の本音であるらしい。
義務教育を完全に受けていない生徒の驚愕の実態
自分はそれでも生きていけるだろう。
だが、学校も行けないで子どもたちに生きていけとする態度は残酷無慈悲とあえて言う。
彼は、小学校や中学校にまともに行ったことのない子どもたちが、数万人以上も居ることも調べもしない。
それは、文部科学省などの文献を見ているからである。
学校在籍したとされている生徒に、本当のこころからの調査をしてみるがいい。
驚愕の実態が分かる。
驚愕の実態に目を背け教師を批判する
6,読み書き障害や発達障害などを主張する窪島氏は、これらの事実を知っているのか、 以上に述べたこのようなことで子どもたちが、義務教育を終了したと見なすことを是認するのだろうか。
彼は、教育学研究者でありながら、これらのことを一切無視し、本当の実態に目を背け教師を批判することに終始している。
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