Once upon a time 1971
就学猶予・免除制度の厚い壁と教育の可能性
「学校に入れたいわね……」
小児科医から出た言葉。
女性として医者としてもおかあさんの気持ちが痛いほどわかったのかもしれない。
もっと考えてみると、歌い続けるきいちゃんの姿に小児科医は教育の可能性を見いだしたのかもしれない。
障害児には、戦前からある就学猶予・免除制度があり、「義務教育を受ける」ことが、「排除」されていたことやきいちゃんのような子どもが入れる学校がほとんどなかったことを知っていたのかも知れない。
お母さんときいちゃんの
♪粋な黒塀 見越しの松にあだな姿の洗い髪…
が交錯する状況を見据えていたようでもあった。
きいちゃんの歌が切り裂く小児科医のペン先の響き
「でも無理ね……」
小児科医は、きいちゃんを施設に入れるための意見書を書き始めた。
小児科医のペン先の響きと沈黙を、きいちゃんの歌が切り裂いた。
それからいくばくかの時間が流れた。
お母さんのたっての希望で、お母さんが列車とバスを乗り継いで行くことが出来る重症心身障害児施設の入所が決まった。
きいちゃんが生まれて初めての乗ることになった市長公用車が、きいちゃんの家に横づけされた。
近くの竹林からざわめきが流れ、きいちゃんの歌を打ち消していた。
おかあさんに抱きかかえられたきいちゃんは、市長公用車に乗り込んだ。
運転手も福祉事務所の一員である私もおかあさんの気持ちを知るがゆえんにひたすら沈黙を守った。
梅樹の林をすり抜ける車中の送別歌
車は、音もなくきいちゃんの居住を離れ心地よい響きとともに走った。
♪ 粋な黒塀 見越しの松にあだな姿の洗い髪
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは
お釈迦様でも 知らぬはずだよ お富さん ♪
がきいちゃん自身の自分への送別歌のようであった。
車は、音もなくきいちゃんの居住を離れ心地よい響きとともに走った。
きいちゃんを見送る人は誰ひとりいなかった。
とたん、お母さんは泣き出した。ひたすら泣いて、泣いて、留まることはなかった。
と、
♪ 粋な黒塀 見越しの松にあだな姿の洗い髪
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは
お釈迦様でも 知らぬはずだよ お富さん ♪
きいちゃんの歌がとどまることなくはじまった。
お母さんの泣き声ときいちゃんの歌が交差する車は、ひたすら梅樹の林をすり抜け重症心身障害児施設に向かった。
1970年代はじめのことだった。
きいちゃんは、まだ幸せなほうやで、
重い障害を持った子どもや大人のための施設は、全国どこを見ても数少なかった。
重度心身障害児・者を各地の施設に入れるための手続きをしてきたが、どこも満員で、やっと入れても市より遙か彼方の地域だった。
きいちゃんは、まだ幸せなほうやで、
との声も聞かれた。
そのつぶやきは、重度心身障害児・者への福祉・教育の大幅な遅れの反映でもあった。
「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。
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