2011年10月28日金曜日

政府の一省の一課が発達障害の概念を突然一方的に決める「奇異」な本質を見抜けていない滋賀大学教育学部窪島務氏



学校の情報提供がなければ「判断」出来ない基準

 西氏は、2003年3月28日の『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』の、参考資料の3として「定義と判断基準(試案) 等」。高機能自閉症も含めての「定義、判断基準についての留意事項」などを分析・検討して次のように論じている。
 この基準をみるとき、はたしてどれほどの医学的知識や技能・技術が必要であるのか。否、むしろ学校からの情報提供がなければ「判断」がつかない性質のものも多数である。
 そして、これらの「基準に該当する場合は、教育的、心理学的、医学的な観点からの詳細な調査が必要である」とされる。
 列挙して記述する順番に過度に拘泥することもないが、ここでの順番は、
まず「教育」、となっている。

として、

 養護学校の義務制実施を控えた前年、1978年(昭和53年) 10月6日付けの文部省初等中等教育局長通達「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置について」(分初特第309号)では、本文冒頭に以下のような記述がある。
 第1 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項
 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項は、次に掲げるところによることとし、特に心身の故障の判断に当たっては、医学的、心理学的、教育的な観点から総合的かつ慎重に行い、その適正を期すること

 このように、最近に至るまで医学が筆頭に配置され、教育は最後尾に位置していたのである。
と1978年文部省初等中等教育局長通達と比較・検討する。
 この点では繰り返し述べてきたが、窪島氏も1978年当時は障害児教育としてさかんに研究していたのに、西氏のように比較検討しないところに特徴がある。


揺れ動く特別支援の用語

西氏は、

 「教育『学』的」となっていない点は教育学がいまだそのレベルにまで達していないという評価の反映であろうが、いずれにせよとりあえずは、むしろ最近注目されているADHD等は教育が一層の重責を担うべき障害であることを示していると理解できる。
 しかしながら、「特別支援」もそうであったが、これらの用語に関してはいまだ流動的な点が多い。
 2007年(平成19年) 3月15日付け文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の文書「『発達障害』の用語の使用について」において、以下のように述べられている。


 今般、当課においては、これまでの『LD、ADHD、高機能自閉症等』との表記について、国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から、下記のとおり整理した上で、発達障害者支援法の定義による『発達障害』との表記に換えることとしましたのでお知らせします。

                 記
1. 今後、当課の文書で使用する用語については、原則として「発達障害」と表記する。
  また、その用語の示す障害の範囲は、発達障害者支援法の定義による。

2. 上記1の「発達障害」の範囲は、以前から「LD、ADHD、高機能自閉症等」と表現していた障害の      範囲と比較すると、高機能のみならず自閉症全般を含むなどより広いものとなるが、高機能以外の自閉症者については、以前から、また今後とも特別支援教育の対象であることに変化はない。
3. 上記により「発達障害」のある幼児児童生徒は、通常の学級以外にも在籍することとなるが、当該幼児児童生徒が、どの学校種、学級に就学すべきかについては、法令に基づき適切に判断されるべきものである。

4. 「軽度発達障害」の表記は、その意味する範囲が必ずしも明確ではないこと等の理由から、今後当課においては原則として使用しない。

5. 学術的な発達障害と行政政策上の発達障害とは一致しない。また、調査の対象など正確さが求められる場合には、必要に応じて障害種を列記することなどを妨げるものではない。

「一省の一課」の「一片の文書」が
 日本の教育を一挙に統制する危うい事態

 この部分は、窪島氏がさかんに引用する文部科学省の文章であるが、西氏の意見は窪島氏と異なり、次のように問題点を述べる。

 政府の一省の一課が特に第4項や第5項のような内容を一片の文書で処理することに奇異な印象を持つ。
 因みにここで触れられている発達障害者支援法などの定義を挙げておく。


○発達障害者支援法(2004年-平成16年12月10日法律第167号) (抄)
(定義)
第2条この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
( 以下略 )


 まさに西氏は、「奇異な印象」と述べているが、この議員立法でつくられた「発達障害者支援法」は、問題が多すぎる。
 窪島氏は、「発達障害」の文部科学省の規定を全面肯定する以前に、発達について随所で発表し、文章も書いていた。
 その中には、「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害という限定は見受けられない。
 それどころか、発達はすべての人間に関わることであり、障害児はその発達の中でどのような課題を持っているかも書いてもいた。
 それなのに、発達に障害があることを限定することを肯定しているのは、それまでの窪島氏の研究を否定したことにも繋がる。
 かれは、これら自らの変遷を明らかにしようともしないでいる。


一連の教育改革は政治的意図のもと 教育が政治によって統制

 日本の国会で、議員の発案に基づく議員立法と政府提案立法の両者があるが、発達障害者支援法は極めて政治的意図のもとに成立した法律であることは知られている。
 愛知教育大学の都築繁幸氏が、「一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。」とする根拠もここにもある。

 西氏は、政府の「一片の文書」で教育が処理され、統制され、それに一斉に従わされる、従っていく、ことを全体主義の復活を思い起こす危険性を危惧しているのである。


 たしかに、障害児教育の分野を考えても特別支援のように一斉に教育分野が塗り替えられ、これほど従うことはなかった。

 特殊教育と文部省が言っていた時代でも、全国都道府県や学校ではそれぞれ異なった表現が使われていた。

 これらのことを知らない世代がいるからこそ、西氏は「政府の一省の一課が特に第4項や第5項のような内容を一片の文書で処理することに奇異な印象」と表現して、警告をしているのだろう。


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