窪島氏が、読み書き障害の子どもたちにどのように対応しているのかを見てみると、滋賀大キッズカレッジ学習室のボランティアを募集に次のようなことが書かれている。
マンツーマンの教育法をもちているのに他の少人数学級を否定
滋賀大キッズカレッジは、読み書き障害(学習障害)のある子どもの学習室を(略)開いています。
学習室への参加希望は多数有りますが、一対一の指導を基本にしているため、多くの子どもたちに待機していただいている状況です。
しかし、子どもたちのつまづきと悩みは深刻です。すぐに対応していきたい気持ちはいっぱいですが、読み書き障害のある子どもの指導は、通常の教育方法とは異なる指導が必要であり誰でも出来るというものではありません。
と、「一対一の指導を基本にしている」と明確に書いている。
読み書き障害のある子どもの指導は
通常の教育方法とは異なる指導が必要とするなら
普通学級の教師にあれこれ指導できないはず
では、彼がそれまで述べてきた少人数学級の否定的ともとれる考えは、何だったのだろうか。
自分は、読み書き障害(学習障害)のある子どもに一対一の指導をし、読み書き障害のある子どもの指導は、通常の教育方法とは異なる指導が必要であり誰でも出来るというものではありません、としながら、多人数学級を受け持つ教師たちにいろいろとクレームをつける。
このような主張は正当だろうか。
窪島氏の一貫したところは以下の点にあるとも言える。
すでに条件反射の応用と
教育学的に否定されている文字や読みを分解して教える
1、彼は、読みか書き障害という読み書きとは、「ひとつ」「ひとつ」の「文字」であり、「ひとつ」「ひとつ」の「はなしことば」を言っている。
だから言語は言わない。
文字を、ひとつ、ひとつ、見ているのであって繋がりとしての文字を見ていないのである。
文章として子どもたちがどのように表現するなどを事例にあげていないところを見てもそれは明らかであるし、エラー、注意しましょう、として「ひとつの漢字」を例示して転載していることからも窺える。
「エラー、注意しましょう」としてひとつの漢字を例示している子どもたちは、他の文字は書けているのかも知れない。
文字は充分書ききれないで、いるが自己表現できているかも知れない。
それらをまったく、採り上げようとしない。
教育の分野では、このことは非常に大切なことなのである。
さらに他の論文なるものや彼が指導した論文とされる指導方法には、漢字を分解して組み合わせたり、カード化して指導する方法が掲載されている。
だがこの方法は、決して新しい方法でもなく教育現場では幾多同様な方法が試みられてきたことを知らないだけである。
さらに、このひとつひとつの文字を分解させて指導する方法は、子どもの発達に大きな弊害を引き起こすという論議があったことも承知していないようである。
こころに響く読み書きを
子どもたちの課題としない枯れはてた理屈
あえて、ここで与謝の海養護学校の子どもたちがつくった校歌を掲載する。
窪島氏は、「読み書き障害」「読み書き困難」といいながら、その課題に対して非常に困難を抱えていた子どもたちがつくった詩を、文字を分割するから理解できないでいるし、文字を獲得した子どもたちの教育の教訓を学ぼうともしない。
おとうさん
おかあさん
せんせい
ちいきの ひとたちが
しょめいをあつめて
ようきゅうにいった
あしのわるい
ぼくだって
ねたままの
いずみちゃん
はいれる学校
つくろうと
ぼくも てがみを
かきました
おかあちゃん
きいてや
あのこが
だいじにされんかったら
ぼくかて だいじに
されないのでやで
おむつしている
みいちゃんも
くるまいすの
あぐおくん
ぜんこうしゅうかい
かいだんを
いつも ささえて
のぼります
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