2011年10月30日日曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏が、経済界からの要望で産まれた「合校論」に繋がる「特別支援教育」を賛美する背景


1990年代から2000年代に変わる段階ですなわち20世紀から21世紀に変わる段階で、政財界はそれまで準備してきた日本展望と戦略を明らかにした。

公教育の解体・再編の「公教育のスリム化」

経済同友会がだした「合校論」はその典型の一つである。
「合校論」は、「公教育のスリム化」(注 公教育のリストラと言わないでいたが。 )を基に「21世紀の学校」のヴィジョンを提示している。
そして、「合校論」は、

1、学校教育の機能を「基礎教室」(言語能力と論理的思考力とナショナル・アイデンティティの教育)。
2、「自由教室」(自然科学、社会科学、芸術の教育)。「自由教室」は民間の教育施設を子どもと親が自由に選択する。
3、「体験教室」(行事、課外活動、修学旅行など)「体験教室」は民間の文化スポーツ施設や旅行会社と地域のボランティアによって運営される。
として、「基礎教室」だけを文部省と各都道府県市町村の責任において運営する「公教育のスリム化」論だった。
「合校論」は、文部大臣と中央教育審議会会長の賛同、日教組委員長の賛同も獲得し、1990年代半ばには、教育改革の翼賛体制を形成していたとされている。

1990年代半ばには学校のリストラと批判していた過去は

 すでに述べたが、窪島氏は、1998年に京都市教職員組合の機関紙に
「学校と教育を個性化するという名目によって、学校のリストラ、教師減らしがすすめられ」
「強引に統廃合をすすめられている現実」
「教育に市場原理が持ち込まれ、よい教育を買いたければたくさん金を出せという論理が大手を振って」
と曖昧であるが暗に経済界や文部省の動きを批判していた。 

態度が変わった教員評価制度の実行の下で 

 その後、2002年から実施された新学習指導要領における
教育内容の3割削減、
義務教育段階にエリート・コースを準備する中高一貫教育の選択的導入、
文部省による日の丸・君が代の強制、
「奉仕活動」の強制と教育基本法「改正」の提言、
国立大学の独立行政法人化、
学校選択の自由化と教員に対する評価制度
が実行されていく。

2001年文部科学省は「特殊教育」を
  「特別支援教育」と言い替えたが… 

その間、
2001年から文部科学省は、「特殊教育」という言い方を「特別支援教育」とし、
2005年12月 中央教育審議会 「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」答申、
2006年3月 学校教育法施行規則の一部改正(同年4月施行)、
2006年6月15日 「学校教育法等の一部を改正する法律案」可決・成立 。6月21日に公布、
2007年4月から特別支援教育実施
がすすめられる。

特別支援教育の実施で
戦後の障害児教育の歴史で
初めての大きな制度改変と大絶賛

特別支援教育が学校教育法に取り込まれると窪島氏の態度は「批判」から絶賛に変わる。
すでに紹介したに 国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に-(2010年7月)で、
窪島氏・久保田璨子氏は、特別支援教育を
「新しい制度」
と評価し、問題もあげるが、
「戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった。」
と絶賛するようになる。
彼らは、特殊教育に対峙して障害児教育と言って文部省と「対決」していたことに何ら触れないで。

特別支援教育の評価とは別なところにある変貌の原因

窪島氏が、このように態度を豹変させた原因には、彼の書いたものを詳しく読んでも、1970年代からの彼の文章を通読しても

「わずか数年で窪島氏が、障害児教育から何の脈絡も変更もないまま、特別支援教育を賛美」

する理由が見つからない。
そればかりか、「軽度発達障害」と書いていたものを文部科学省の通知に合わせて、なんの説明も理由も断りもなく「発達障害」と書いている。

そこには、研究者との良識、研究の自由による自己論拠の確信と展開、研究による訂正・変更などまったく見られず、用語や概念も簡単に書き換えられている。

そして、主語のない文章、曖昧表現、仮説の根拠を充分吟味しない仮説による調査などなどの「乱発」が増え続けている。

それらを吟味すると彼の主張が変わったのは、別なところに原因があるとしか考えられない。

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