Once upon a time 1971
きいちゃんが、重症心身障害児施設に入るためには、児童相談所との手続きが必要だった。
児童福祉司が居たが、広範囲の地域を受け持ち状況を把握するどころではなかった。
今は少しはよくなっているけれど、児童相談所などの機能はもっともっと充実させて欲しかった。
また、障害児の状況を考えると15歳の3月31日と18歳の誕生日は、「残酷な日」となっていた。
そのことについてまた説明させていただく。
こころに吹いているの 窓からの心地よい風
きいちゃんのことを児童福祉司に連絡し、児童福祉司はお母さんと話をしたらしい。
私たち障害者福祉に携わるものは、このことに携われることが出来なかった。
結果的にきいちゃんを、重症心身障害児施設に、ということになったが、その前にお母さんが関係担当医の所にきいちゃんを連れて行かなければならなかった。
そのことは、児童相談所の仕事ではなかったからだ。
お母さんから連絡を受け、公用車の配車を頼みに言った。
「あいよっ」簡単に引き受けてくれて配車手続きも簡単に済んだ。
公用車に乗ってきいちゃんの家に。
運転担当者は、きいちゃんを軽々と抱え、公用車にうまく乗せてくれた。
4人を乗せた公用車は、関係担当医の所にむかった。
♪ 粋な黒塀 見越しの松にあだな姿の洗い髪
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは
お釈迦様でも 知らぬはずだよ お富さん ♪
きいちゃんは歌い続けた。
もちろん何年かぶり家を出たのに外の風景を見ることはない。
運転担当者は、気を使ってきいちゃんが窓から外を見えるように横たわらせてくれたのだが。
窓からの心地よい風も、きいちゃんにとどいているかどうかも、わからなかった。
小児科医の問いにひたすら同じ歌に医者の診たもの
関係担当医は、小児科の女医さんだった。
長い時間がかかって、ていねいにきいちゃんを診察された。
目は見えていない。
起き上がることは今の状況では困難。
おきあがることも出来ないまま。
寝たきり。
でも、女医さんは、しきりにきちゃんに問いかけた。
その問いにひたすら歌い続ける。
♪ 粋な黒塀 見越しの松にあだな姿の洗い髪
死んだはずだよ お富さん 生きていたとは
お釈迦様でも 知らぬはずだよ お富さん ♪
きいちゃんのお母さんはオロオロ。小児科医は少し首をひねる。
きいちゃんの施設入所のための「措置診断書」を小児科医に書いてもらわなければならなかった。
おかあさんの想いは複雑すぎた。
重度心身障害児のきいちゃんが生まれたことで離縁され。
悲しみの中で生きてきて再婚。
きいちゃんと腹違いの子が生まれ…。
家は狭い。
きいちゃんは寝たきりで、同じ歌をえんえんと歌うだけ。
主人はええやないかと言うけれど気兼ねする。
しかし、きいちゃんの障害はどうしようもないように思える。
目が見えるようになるんかしら。
賢くなってくれるんかしら。
と思いあぐねたけれど、ともかく身体だけが大きくなってくる。
この子のために何が出来るんだろうか。
この子や私たちはどうなるんだろうか。
きいちゃんと、おかあさんにとっては、暗い未来しかなかった。
学校に入れたいわね……
おかあさんの心は揺れ続けたけれど、傍目には憔悴しきったおかあさんの姿しか目に入らなかった。
「学校に入れたいわね……」
小児科医から出た最初の言葉だった。
「学校に入れたいわね……」
それまでだれも口にしたことのない言葉だった。
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