2011年10月27日木曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏はファシズム(fascismo・fascism)の復活のようなハイスピード化を賛美


さらにそして、西信高氏は、島根大学教育学部西信高氏は、

 用語の成熟度如何に関わらず、現実はハイスピードで進行している。
 2001年1月には、文部科学省では、障害のある児童生徒の教育を担当する課であった「特殊教育課」が「特別支援教育課」へと再編された。


 島根県では2002年、松江市では2001年、それぞれ「特殊教育室」を「特別支援教育室」へと組織名称の変更を行っている。
 そのほかにも例を挙げれば、新たに提起された「特別支援教育コーディネーター」も、ごく短時日の間にすでに各学校に配置済みといった状況がみてとれる。
 障害児にかかわるさまざまな問題を、まさに権利の総合的・統一的保障の観点からコーディネートする教員の配置は当然必要ではある。
 しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。


特別支援教育のハイスピード化にある
 ファシズムの復活を思わせる恐怖

 さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。

 このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。
格差と矛盾が増大する
特別支援教育と窪島務氏の「墜落方向」

 たしかに、西信高氏の指摘しているように特別支援学校と普通校における特別支援委員会等の設置は、かってないスピードでつくらされた。
 そのため、少なくない普通校では特別支援教育の対象が「ADHD・LD・Asperger」に限定され、それまで対応されていた障害生徒や病弱な生徒は、特別支援教育の対象外とされて行っている。
 また、多くの学校では管理職から「指名」された「特別支援教育コーディネーター」が、なにか新しい特別職、特別任務化のように振る舞っている報告も多い。


文書をよほど熟読していなければ内容を誤解もしくは曲解

 さらに西信高氏は、次の点を指摘する。

 文部科学省関連の文書をよほど熟読していなければ、まさに時々刻々変化する情勢に対応できなくなる。
 現場の多忙化がますます進行する現状の下で、文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している例も散見するのである。


 彼は、現在の学校現場を直視していることは、多くの例が物語っている。
 しかし、窪島氏はこれらの問題について一切書いていない。
 そればかりか、彼が評価する実践例を行っている教師に対して、学校内の教師からの批判は少なくない。

 ようは、その教師は窪島氏の言う通りや彼の言う枠内での取り組みをして、学校内の取り組みをしないからである。
 また彼が評価する教師は学校では、保健室閉鎖を是認し、養護教諭が保健室にも行けないようにしている。
 文部科学省の特別支援教育研究指定校が終了した学校に行って研究発表するのは文部科学省の追認研究ではないか、などなどのことが報告されている。
 窪島氏は、学校全体や教師たちの状況を見ない。


 
それとは対照的に西信高氏は、

「文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している」
と具体的問題点をあげてている。

同じ免許状の所持者が
「支援する側」と「される側」に格差づけられる

 さらに西信高氏は、窪島氏が思いつかないような重要な点を指摘する。
 「地域の特別支援教育のセンター的機能」もそのような例の一つである。
 従来障害児学校の多くは都道府県立であるがゆえに、市町村立の小・中学校とは制度的にも機能的にも日常的なつながりは必ずしも緊密ではなく、それでも特に支障が生じない状況があった。
 しかしながら、今後は「小・中学校等の教員への支援機能」「小・中学校等の教員に対する研修協力機能」が求められるものとされている。
 同じ免許状の所持者であっても、その勤務する学校種別により、支援する側とされる側に格差づけられるという問題も指摘できるのであるが、いずれにせよ、障害児学校教員の意識と姿勢の大転換が求められているのである。
 それほどの自覚と責任が障害児学校に満ち、共通認識となっているがどうか。

 時折、障害児学校の教員から、小・中学校の教員は障害児学校についての理解が乏しいとする批判も聞くが、今後はそれは障害児学校側の努力不足によるのであるという点にむしろ重きが置かれることになる。

一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の
障害児学校で長年過ごした教員が
一人の担任が複数の障害児と向き合う
障害児学級の担任に
あるいは通常学級の担任に
いかなる「支援」をおこなえるのか

 また、具体的な授業場面では、一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の障害児学校で長年過ごした教員が、一人の担任が複数の障害児と向き合う障害児学級の担任に、あるいは通常学級の担任にいかなる「支援」をおこなうのか。
 こうした課題がまもなく現実のものとなろうとしているのであるが、身近には必ずしも学校側からの切迫感が感じられない。

 まさに、これらのことが今教育現場で如実に現れている。

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