2011年10月27日木曜日

生徒たちの教育課題を細分化し、さらに細分化し、「異質化」し、子どもたちに対立・分断をうむ理屈


 ドイツの教師が、日本の初等教育を観て、教師が喋ってばかりの授業形態に驚くという報告は、古くから知られてきたことである。

ドイツでは 子どもが話す 意見を言う 討論するのに

 教師が話すより、生徒が話す、討論することがほとんどであるからである。
 だが、そのことを明らかにしないで、窪島氏は日本の授業形態を教師だけの責めとしているだけで、自ら研究者としての授業形態の改善方法を提起しないのは、それなりの思いがあるからであろう。
 窪島氏が、不登校の生徒の問題から発達障害へと移行し、そして読み書き障害へと絞り込んでくる過程と共に彼の記述は、子どもたちや子ども集団や教師集団が「解体」されていく。
 そして、さらに彼は、「読み」と「書き」を解体し、「書き」を解体しているのが現在の彼の状態なのである。


すべての誤り?意図?は 特別支援教育の大絶賛から

 窪島氏が、なぜこのような「変遷」をたどったのかを検討してみると次のことからであることが明るみに出る。

 すなわち窪島務氏や久保田璨子氏は、

 2007年度より特別支援教育が新しい制度として発足したが、問題が山積している。
 特別支援教育は、もう・聾・養護学校および障害児学級を主体とするこれまでの障害児教育への制度的対応から、主として通常学級に在籍する発達障害(学習障害􀀀 (LD)、注意欠陥・多動性陣容􀀀 (ADHD)、広汎性発達障害􀀀 (PDD)など)を障害児教育の対象に加えることを主眼にいくつかの制度的改変を行った。 これは、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった。 にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。
(前述、国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に- 医学評論 2010年7月)


過去の自らが研究してきた障害児教育を破棄し
「特別支援教育」を絶賛して逆流現象としての「変質」のはじまり

 「戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変」であった、書いていることそのものに多くの誤りがある。
 またそのことが、窪島氏の旋回の序章でもある。


  ここには、戦前、戦後、障害児が教育対象外とされてきた長く悲しい歴史に対する想いは全くなく、戦後すぐから障害児教育児教育がはじまったような考えで貫かれている。これは見当違いも甚だしいばかりか、障害児教育を論じる以前の問題だろう。

 
まったく異なる評価と鋭い分析は島根大学教育学部西信高氏の論文から見えてくる


滋賀大学教育学部窪島務氏の「旋回方向」と「墜落」
  窪島氏は、特別支援教育は、戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった、と書いている。


就学猶予・免除をなくした歴史も無視

 ここには、就学猶予・免除ということで障害児が教育を受けられなかった歴史とそれを改めさせた教育制度はもちろん、盲教育やろう教育の義務制や養護学校の義務制などの教育制度のことは含まれていないとしているのである。
 彼が、「制度改変」という文字を使うのは、その漢字の通り「障害児教育を改めて違うものにすること。」ことであり、彼はそれを歓迎し評価しているのである。


 ただ付け足し的に以下のことを書いている。


 にもかかわらず、文科省、等行政の基本姿勢は、予算も人材も増やさず、既存の障害児教育の財産の「活用」でまかなおうという不合理なものである。

と書いているが、これはまったく文科省、等行政の基本姿勢を見ていないか、見ようとしないことの表れであるとまず説明しておく。

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