さらにひどいことには、野口法子氏・窪島氏らは、「滋賀大学教育学部紀要 教育科学 No. 59 2009」「通常学級の子どもたちと読み書き困難児のカタカナ書字習得状況」に
「日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に他国の文字である漢字で書き表そうとしたことに始まる」
と書かれていることである。
日本は奈良時代に漢字表記を用いたとする歴史認識
このことの評価は奈良時代以前から明白であるが、では、
「明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れ」
という記述との矛盾を、どう説明するのだろうか。
和語・倭語・大和言葉などの表現は、必ずしも適切だと思わないが、日本語は「日本列島」に先進文化・先進技術を持ち込んだ渡来人を抜きにして考えることは出来ない。
窪島氏は、他の文章でも、漢字を中国から伝播されたとだけ書き、渡来人としての朝鮮民族の漢字の導入をはじめ多大な日本への貢献を無視している。
それは、なぜか歴史教科書をめぐる日本国内はもちろん、北朝鮮・韓国からの日本政府・文部科学省への批判を「擁護」しているようにしか受けとめられない文章になっている。
窪島氏らのすすめようとするカタカナの書き研究のために、歴史的考察が充分研究できていないことは「科学」の名に恥じる行為だろう。
だが、窪島氏らは、そうはしない。まったく無関心に根拠をすすめる。
「異質」「困難」を強調するためにあえて、それを強調するために「都合の良い部分」だけ、歴史解説書のほんの一部から引用し、断定いているとしか考えられない。
外来語。
日本では外来語を文部科学省など日本の政府やマスコミなどが、「カタカナ」で表記するようになったのは、日本の歴史上ごくごく最近のことである。
また、このことをめぐる日本政府への批判は数え切れない程ある。
外来語を日本語訳してきた人々への敬意もない
窪島氏が教えを受け、共同研究者でもあった田中昌人氏が、
「発達」という用語
が、外来語の日本語訳であることを明らかにするために多大の努力をされた。
また、なぜそこまで研究しなければならなかったのか。
窪島氏は、理解しようともしないし、承知もしていななかったことも解る。
付記するならば、野口法子氏が教えている「健康」という用語も外来語である。
解体新書での訳語問題など知るよしもないだろう。
近年、特に、外来語を、カタカナ表記で安易にすまして日本語訳しない日本の現状を、窪島・野口氏は憂うことなく、先人たちの外来語の日本語訳の努力に敬意を表しようともしない。
それは、彼らが無意味にカタカナ表記を使い、専門研究ぶっていることにも現れている。
田中昌人氏の「蘭学・洋学における発達の概念の導入について」
故田中昌人氏は、京都府教育委員会が「発達」という用語を全面的に使用を禁じるという表現の自由の統制を行ったとき、地方自治法にある「発達」をはじめ発達を禁止することを研究者として、全面的に反撃し、批判した。
そればかりか、発達のことばがいつの時代、どのようにして使われるようになったかを日本列島を縦断し、調べ上げた。
そして、発達という言葉の使用を禁止することは、人間を否定することであることを歴史的考察研究であきらかにした。
窪島務氏や中の野口法子氏らは、「田中昌人先生から学んだ」と言うときがあるが、田中昌人氏から学んだのではなく、田中昌人氏の研究を踏みにじりつづけいている。
「発達とは何か。」をあきらかにできないで「発達障害」を言うのが何よりもその証拠である。
(参考 日本における発達の概念の導入について )
☆田中昌人,日本における発達の概念の導入について:Perry.M.C.;Harris.T;Alcock.R.の場合,京都大学教育学部紀要,37,46-75,1991
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について:堀内寛『幼幼精義』(1843・天保14年開雕)まで,京都大学教育学部紀要,39,182-217,1992 ☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について――堀内寛「幼幼精義1843・天保14年開彫まで――,京都大学教育学部紀要,39,1993,
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について(2):Pompevan Meerdervoort,J.L.C.
による西洋医学教育の実施前まで,京都大学教育学部紀要,40,12-46,1994
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について 2 ――Pompe van Meerdervoort
J.L.C.による西洋医学教育の実施前まで――,京都大学教育学部紀要,40,1994,
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について(3):内田正雄『和蘭學制』(1869・ 明治2年)まで,京都大学教育学部紀要,41,1-34,1995
☆田中昌人他,発達について――準備委員会企画対論(日本教育心理学会第36回総会概
要),教育心理学年報,34,1995
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について 3――内田正雄『和蘭学制』 1869 ・明治2まで――,京都大学教育学部紀要,41,1995,
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