2011年10月13日木曜日

衝撃的な出会い 与謝の海養護学校


Once upon a time 1971

こころの響き合いの輪の広がりに揺さぶられて

 おとうさん 
 おかあさん
  せんせい
  ちいきの ひとたちが
   しょめいをあつめて 
  ようきゅうにいった
  あしのわるい 
  ぼくだって
  ねたままの 
  いずみちゃん
  はいれる学校
  つくろうと
  ぼくも てがみを 
  かきました


 おかあちゃん 
 きいてや
 あのこが
 だいじにされんかったら
 ぼくかて だいじに 
 されないのでやで
 おむつしている 
 みいちゃんも
 くるまいすの 
 あぐおくん
 ぜんこうしゅうかい 
 かいだんを
 いつも ささえて 
 のぼります

 この歌を初めて聞いたのは、与謝の海養護学校だった。
 バギーに乗ったり、車いすに乗ったり、横たわったりしている子どもが、にこにこしながら歌っている。

 声も出せない子どもいるが、全身で歌い、先生と一緒に歌っている。
 本当に、本当にこころの底から、みんなで楽しく歌っている。
 こころの響き合いの輪の広がりを見た。
 すべての子どもにひとしく教育を。どんなに重い障害のある子も教育を。とねがい、障害児者や父母家族、地域の人々が手を携えてつくられた養護学校。

 与謝の海養護学校に行ったときの初めての鮮明な記憶である。

こんな教育もあるのか、いやこれが教育ではないのか、

 この歌が、「ぼくらの学校」という校歌であると聞いてびっくりした。
 高等部の子どもたちが作詞し、先生たちが曲を創ったらしい。
 胸に染み入る、心に響く、こんな校歌はそれまで聴いたことがなかった。
 自分の経験に照らしても。
 校歌はきちんと整列して、意味もなく歌う。列を少しでも乱れると先生のびんたや棒がふるわれる記憶しかなかったからである。
 このようなことを書くと戦前のことと思われるかもしれ
ないが、決してそうではない。
 校歌を歌うときには必ず生徒の服に鮮血がついた。先生の暴力で。
 それとまったくちがう校歌と生徒と先生が歌う姿を見て我が目を疑った。 

 それが与謝の海養護学校の私の第一印象だった。
 この時、私は福祉分野ではなく教育分野で働いていた。
  こんな教育もあるのか、いやこれが教育ではないのか、と頭の中で何かしらのことがグルグル回り続けて停まらなかった。


教育が受けることが出来ていれば
 と思った障害児者のことが

  
 同時に、福祉分野で働いていた時に出会った障害者や障害児のことを思い出し、あーっ、あの人やあの子らが、このような学校で学べていたらどんなによかったことか。
 教育なんて無関係な状況に置かれ、教育不可能とされてきた障害児・者を数え切れないほど見続けてきたことを想い出すと、呆然としたまま立ちすくんで居た。
 眼を転じるとそこには天橋立が見える。
 内海と外海の色の違いを見据えながら、もう一度、教育とはなんだろうか、と考え込んでしまった。
 それだけ衝撃的な印象を受けたのが、与謝の海養護学校との出会いだった。


  私には、教育が受けることが出来ていれば、と思った障害児者のことが次から次へと浮かんできた。

 そのひとり、きいちゃんのことを知ってほしい。



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