2011年9月19日月曜日

労働安全衛生活動五つ提案  危険なことが、なぜ危険とされなかったのか


山城貞治(みなさんへの通信86)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その66)


労働安全衛生活動五つの考えを提案して府教委協議に臨む

私たち京都府高労働安全衛生対策委員会では、府教委との労働安全衛生協議を前に次の5点を全教職員に提起し、協議に臨んでいた。

教職員のいのちと健康を守るための府高「労働安全衛生活動五つの考え」

① 教職員のいのちと健康はひとりでは守れない。いのちと健康を守るための知恵と行動は、自分を守り、仲間を救う。
 労働安全衛生は教職員のいのちと健康を守る基本的人権であり、労働条件であり、生存権に関わることである。

②労働組合(府高)があり、そのたたかいがあってこそ働くもののいのちと健康を守ることが出来る。
 今こそ未組合員・管理職を含めたすべての教職員との「対話と共同」をすすめ、労働組合の強化・拡大でいのちと健康を守ろう。

③ 教職員のいのちと健康は、体制・行政まかせでは守れない。府高のたたかいが弱まると教職員のいのちと健康は破壊される。
 執行部・分会役員は、たえず教職員のいのちと健康に関わる状態を把握し、明らかにし、要求を実現する取り組みをすすめよう。
 また「しんどい・苦しい・いたい・つらい」「どうしたらいいのか・何が原因するのか」を言いあえる職場をつくろう。

④ 朝、家を出た労働者が、元気に家に帰れるようにするのが事業者の責任であり、それを見とどけるのが労働組合の役割。
 教職員のいのちと健康に責任を持つのはだれか(事業者=京都府と府教委)を絶えず明らかにしよう。教職員がケガや病気になっても個人の責任にしない。個人の責任にすれば事業者が責任逃れをする。

⑤ 府教委・管理職との労働安全衛生(いのちと健康の問題)の話し合いの内容は、秘密にしない。
 「ここだけの話」「内緒にしよう」と約束すると教職員のいのちと健康を売り渡すことになる。労働安全衛生に関する情報は、労働者には知る権利があり、事業者には知らせる義務がある。
 個人のプライバシーは守るが、仲間のいのちと健康問題は秘密にしない。 


 協議では、府教委は安全や安全対策のつくことは、極端に否定してきた。しかし、私たちは、生徒の安全は教職員の安全に直結する。教職員の安全は生徒の安全に直結することから「安全衛生委員会」の名称は大切であると主張した。
 その根拠のひとつに、府教委は、1982(昭和57)年1月16日に「京都府教育庁職員安全衛生管理規程」を公表し、「法令の定める事業者の債務としての職員の安全衛生に関し、安全衛生管理組織、健康管理その他必要な事項を定めるものとする。」としていた。
 府教委には、「安全衛生管理」としながら府立学校には「衛生管理」とするのには明らかに矛盾があった。だが、府教委側は、それらを無視し続けた。

 この頃、京教組養護学校教員部・編集・著作の「教職員のための労働安全衛生入門」が、「新版 教職員の労働安全衛生入門」(細川汀 垰田和史共著 文理閣 )がだされ、細川汀氏は次のような文を加筆されていた。

ゴミ焼却炉に落ちて死んだ生徒
 門扉に挟まれ死んだ生徒の安全は

 たとえば、工作室で使用されている帯鋸や丸鋸、プレスやシャワーには法律で安全装置がきびしく決められていますが、正しくきちんとつけられ作動しているでしょうか。
 実際には労働安全衛生法規に違.反しているところがたくさんあるようです。これらは、直ちに改善されねばなりません。
 災害がおきたときにその原因調査をし、防止対策を立てる。
 京都のある小学校で、ゴミを捨てようとした一年生がブタをしていない焼却炉に落ちて死亡しました。このようなことは教師にとっても危険なことで、もっと早く学校として対策をとるべきでした。
このようなことがなぜ起こったのか。焼却炉は本当に必要だったのか。
 やむをえないとしてもそれはどこに置くべきか。
 どんなものを燃やしてよいか、選別していたか。
 投入れ口にはどんな安全装置がされていたか。
 子どもに投入れさせてよかったか。
 それまでに危険を感じたことがなかったか。
 あったとしたら、どうして改善されなかったか。
 これらを調査しなければなりません。
 最近は焼却炉から出る有害ガス(ダイオキシンなど)も問題になっています。
 ゴミ問題は今,どこでも重要な課題です。


目に見える「直接原因」よりも、それをひき起こした
「間接原因」やその「背景原因」の方が大切な事後原因の究明
 事故の原因の究明には、目に見える「直接原因」よりも、それをひき起こした「間接原因」やその「背景原因」の方が大切です。
 教員は学校の内外で事故が起きると自分の責任であると考えがちですが(それは当然のことですが)、事故の責任を教師に課することが正しくない場合がほとんどです。
 それは全く別の問題です。
 真の原因を科学的に明らかにしなければなりません。
 兵庫県で230キロもある重い扉を「イチ、ニ、サン」で閉めていたことも、犠牲者が出るまえに教育委員会や教職員に安全の知識があれば、誰もしなかったでしょう。
 このような危険なことが、なぜ危険とされなかったのか。
 子どもの遲刻を防止する方法として、適切なものであったのか、それはどに教師の行動をかりたてた本当の原因があったのではないか、それを追求することが、再びこういうことを起こさないために必要です。


「注意しましょう」が子防対策
になっている現状では、災害は決してなくならない
 

 多くの学校災書が本人や仲間、あるいは教職員の「単純ミス」や「不注意」のせいとされ、「注意しましょう」が子防対策になっている現状では、災害は決してなくなりません。
 本当に実効のある防止対策を考えましょう。
 交通事故の原因は交通法に違反する運転手の不注意のためであるとして罰則を課しても、一向に事故が減らないのはなぜでしょうか。
 情報収集をやっていろんな統計をとる。
そういう仕事をきちんとやらなければならない。
 それにふさわしいよい人が学校にいるか。
  そういう人をきちんと作ろうという方針が教育委員会にないことが問題です。

「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。

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