2013年7月11日木曜日

未来を切り拓く教訓があった京都ろう学校における「授業拒否事件」




教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 ろう学校の未来展望のためにすでに掲載した文章をもう一度引用しておきたい。

  寄宿舎に入れてろう学校で学べた
                                お母ちゃんが喜んで…

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 2年ほど前に京都府立聾学校や教育行政・養護学校づくり・普通校などを経験し、退職したB先生(ご本人は実名でも良いとおっしゃっていたがインターネットに掲載する関係でイニシャルにする。)にインタビューを行った。そして、今では誰も持っていない重要な資料をお借りした。
 そのインタビューで聾教育・聾学校等に関わる部分について掲載したい。

  1952年 新採として350人の生徒がいたろう学校へ

 聾学校の教諭になられたのはどのような理由からですか。 
・1952(昭和27)年新採。
 ある校長に呼ばれて、


「子ども好きか」

と聞かれて、

「好きです」

と答えたら

「ほな明日からきてくれ」

と言われて行ったらろう学校やった。

(※注 この時校長から手話をぜひ覚えてほしいと言われたことが、ブログに掲載したとき消えていたので追記しておきます。)

 教師二人、寄宿舎寮母一人の三人の採用でした。
 ろう学校には先輩方がおられて学んで行ったという状態です。


 私は、小学部と中学部の重複学級教えていました。
 重複学級は、学校全体から言えば数名でした。
 小学部が一番多くて、一学級15,6人。それが各学年3学級あった。


  荒れはてていたろう学校の教師たち

  1952(昭和27年)新採で行った頃のろう学校は、府庁前から御室の仁和寺に移転したばかりの学校でしたが、と思う以上に「荒れはてていた。」

 職員室の机の下に一升瓶置いたり、ウイスキーの瓶が転がってたり、宿直で麻雀している先生などたくさんいた。

 学校の周りの畑に先生が、ネギとりにいって、すき焼きする。校長が「ネギ取りに行くな」というそんな時代。
 

 無政府状態の学校。
 背景にあったのは、障害者差別でしょうね。
 子どもに何言ってもわからへん。
 子どもの言っていることがわからへん。
  ろう学校の教師のろう学校の生徒への考え

 ろう学校の先生の中でも「ろう学校から出してくれ。出るようにしてくれ。」と先生が言ってきた。

 「なんでや」

って聞いたら、

「うちの嫁はんが責め立てる。私は高校の教師と結婚したんで、ろう学校の教師と結婚したんではない。」

「ろう学校の教師をしているんやったら、私は離婚します。」

と言われる。責められる。普通の高校に出すようにしてくれ。

「なんでそんなこと言うんや」

と言い、

「それはろう学校の生徒に対して差別していることになる。」

と大げんかになった。


「聾教育は『「特殊か領域』」? 」

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー」


  聾教育は特殊な領域である

 最近、聾学校の現職の教諭がいくつかの本を出している。

 その中のある本に次のような事が書かれていた。

 私の率直な思いを書かせていただくと、聾教育というのは、かなり特殊な領域であるように思います。

 学生の頃、ある聾学校の先生から「あの大学の先生(研究者)は、教育現場のことをわかっていないと最もよく(陰口)を言うところは、聾学校だよ」と言われたことがあり、「これは研究者と現場の教員の『乖離』を嘆く一つであり、自分も研究・教育実践にあたって注意しなければならない」と私は受けとめました。
 また、大学のいろいろな先生方と話をしていますと、障害児教育一般のことはよくご存じでも、聾教育や聾学校について良くご存じないと感じることが何回かありました。
 例えば、「現在の聾学校は、重複障害児が大半を占めている。」とか「聴覚障害だけある子どもと(軽度)知的な障害をあわせもつ子どもは、一般の知能検査によって容易に区別できる」とかいう「誤解」が、その一例です。
 
 聾教育に携わる現職の教諭として責任ある態度は、

 聾学校は特殊な領域であるとする根拠としてあげている

1,あの大学の先生(研究者)は、教育現場のことをわかっていないと最もよく(陰口)を言うところは、聾学校だよ。
2,現在の聾学校は、重複障害児が大半を占めている。
3,聴覚障害だけある子どもと(軽度)知的な障害をあわせもつ子どもは、一般の知能検査によって容易に区別できる
のうち、1,聾学校の先生が言っている記述として書かれ、2,3は、研究者の言っていることとして書かれている。
 だが、1,2,3とも聾学校の教師が言い続けてきていることである。
 そのため、3つの根拠を持って、「聾学校は特殊な領域である」という結論にはならない。

 率直に思っているのは筆者であって「聾教育というのは、かなり特殊な領域であるように思います。」と書いている以上は、筆者がその根拠を書く必要があるだろう。
 誰々が言っているから、と根拠だけで現職の聾学校の教諭の自分自身の感想、意見を裏付けるのは責任ある態度とは思えない。

  未来を切り拓く教訓があった京都ろう学校
               における「授業拒否事件」

1952(昭和27年)から現在まで上記のことを比較してみると現在まで京都ろう学校が抱えてきた底流がみえる。

 ろう学校の底流を大きく改革する機会は、幾度もあった。

 だがそうならなかった背景には、「聾教育というのは、かなり特殊な領域である」と断定している処にあると思われる。

 京都府立盲学校舞鶴分校・京都府立ろう学校舞鶴分校(盲ろう分校)と髙野小学校との共同教育の取り組み。
 山城高校の聴覚障害教育の取り組み。
 与謝の海養護学校の設立までとその取り組み。

と比較するとそのことが鮮明になる。
 

 そのことを踏まえて、京都ろう学校における「授業拒否事件」を重要な教訓として今日的視点から検証してみたい。


 

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