2013年7月21日日曜日

無責任ででたらめな言葉に対して はっきり抗議した ろう学校の生徒たち ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(1)

 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


※ 以下長文になるが、ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見、特に生徒会のビラを中心に掲載する。
 
 読めば、48年前のろう学校の生徒たちの思いがジンジン伝わる。
 だが、このビラは生徒たち自身が先生たちに見つからないようぬ充分相談してつくりあげたものである。


 しかし、学校も、京都府教育委員会もこれらの動きには、必ず裏で画策している教師がいるとして、その教師をおさえれば問題が解決すると考え続けていたことが事件から数十年て明確になる。

 裏で画策している教師がいる、と考えた教師には、のちのち手話通訳に携わる人たちにあまりにも有名になった先生たちは、まったく除外されていた。
 なぜなら、その先生たちは、学校や学校外で一切沈黙し続けたからである。

 

 むしろ高等部以外の先生たちから、生徒の要求の正当性を認める意見が出てきたが、その先生に対する嫌がらせは、中途半端なものでなかった。

 教師同士の間で、自由にものが言え、お互いに批判し、よりよき教育をすすめて行こうとすることは極めて大切であるが、現在の教育界でもそのことが、上下関係の中で抹殺されているように思える。

 すでに掲載したA先生の実践 …… 学校は 日常実践の悩みや喜びを語り合い 疑問を出し合い学習を深め 教育論議をし お互いに実践的統一を計りつつ支え合い 育ち合うところ …… をもう一度読んでいただければと思う。

 実は、A先生は、ろう学校授業拒否事件を熟知していて、教職員集団のあり方の基本を考えていた。

 教師が、バラバラで、お互いの責任をなすりつけ合うようでは教育も子どもたちもすすまないことを。

 
それを「反面教師」として考えたことは、与謝の海養護学校設立に生かされていることを知る人はほとんどいない。

 
 この胸振るわす生徒たちの48年前の意見。
 ろう学校の教師たちは、大歓迎すべきであったと思うのだが。


  いつまでたっても誠意を示さないのは誰

  全校の皆さんに訴えます        京都府立聾学校高等部生徒会

1.私達は、第一学期の末、プール掃除の問題や、学習上の問題で先生方と話し合った時、二学期から時々生徒との話し合いを持とうと約束しました。
 私達生徒会では、この約束に従って、指導部(注ろう学校の生徒担当)メンバーの一人であるN先生を通じ、指導部と生徒との話し合いを持とうと、9月上旬に申し入れました。
 しかし実現しませんでした。


 9月下旬にも申し入れましたが、やはり実現しませんでした。
 さらに10月にも、三たび申し入れました。
 やはり実現しませんでした。

 この三度にわたる申し入れをにぎりつぶしたのは誰でしょう。
 又、そのうちにやりましょうとか何とかいって、いつまでたっても誠意を示さないのは誰でしょう。


   誠意のない態度を徹底的ににくむ

 私達は、その人が誰であってもにくみません。

 しかし、このような誠意のない態度を徹底的ににくみます。

 私達が話し合いを望むのには、それ相応の理由があります。

 問題をかかえているからです。
 その問題とは、次のようなものです。


  1、第一学期の末、学習について生徒集会を持ち、討論を行ないました。

 その結果、様々な意見が出ましたので、この件につき、先生と生徒との話し合いを持ち、積極的にとりくみたいと思いました。

 とりあえず、生徒の意見を間違いなく生徒指導部の先生に伝え、さらにこの問題を高等部の先生方皆で深めていただきたいと思いました。

 にもかかわらず、一寸もとりあおうとされないのは、一体どういう考え方なのでしょう。

 忙しいから、家庭の事情があるからといっても、もう二学期のはじめから申し入れてあることです。
「遅くなってすみません。そのうちにお話しましょう」
というようなお返事を、万一いただくようでしたら、生徒会は本当にふんだりけったりだと思います。

 何故、このような誠意のない態度がとられたのか、先生も含めてこのことを徹底的にみんなで考えねばいけないと思います。

  学校の根本問題 学習   どうせ生徒は

  学習についてといえば、学校の根本問題ではありませんか。

 私達は、このことが高等部の先生皆で肘議され、誠意あ回答が与えられることを望みます。
2,第一学期の末、プール掃除の問題について話し合った時、率直に返事をして下さったのは、ただ一人の先生で、他の先生の場合、先生問の連絡の手落ちは一応棚上げにして、色々理由をおっしゃったことの裏には、
「どうせ生徒は」
という気持が見えすいているように感じられました。

 この問題は、生徒の納得のいかないまま、うやむやになっています。

 運動会の反省の資料として、主事M先生がおっしゃったことの記録がありますが、その中に、

「生徒は自主性のはきちがいをしている」

ということばがありました。

   ろうあ者は常識がない 自主性をはきちがえている

 私達は、運動会については、特に朝、椅子やライン引きの準備が出来ていなかったことや、騎馬戦の練習時間について考え方の足らなかったことは認めますが、生徒は自主性をはきちがえていると、簡単にはきすてるほど、生徒はわけの分からない集団なのでしょうか。

 昨年の運動会では、あとしまつは、係の先生がブーブー言いながら生徒をかき集めてどうにか終ったのではなかりたでしょうか。
 私達は、こんな無責任ででたらめな言葉に対しては、はっきり抗議するために、学芸会ではこのような問題をとりあげ、生徒会の総力をあげてとりくみました。
 そして私達は、必ず、この誤った言葉だけのでたらめな態度をあらためていただこうと決心致しました。

 事実を確めず、生徒会という集団の誠実さをちょっともみとめず、何かあれば、頭の中だけで、すぐ

 ろうあ者は常識がない、自主性をはきちがえている

などというのは、全く自分自身を絶対的なものと考え、少しの反省もしない態度だと言えます。

 私達はその人を憎みませんが、このような態度を徹底的に憎みます。
 M先生はお忙しい先生です。
 M先生がお忙しければ、どうして指導部の先生方が私達と話し合いをされないで、ほっておかれるのでしょう。


 私達は無頼漢の集まりではありませんよ。
                                                              ( つづく )

 

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