2013年7月15日月曜日

われわれの努力は どうして報われないのか。



 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 1960年代末。
  京都ろうあ協会青年部のある人から、一冊の冊子を読んで感想を求められた。
 それが、


 「授業拒否 ー3・3声明に箝する資料集ー 社団法人京都府ろうあ協会編」


であった。
 1968年6月3日発行のものであったが、当時京都府ろうあ協会の連絡先は同窓会と同じ京都府立ろう学校となっていた。
 この段階で、この冊子の発行の経過や問題点が何となく分かる気がした。


 この冊子のはじめに書かれていることから紹介して、順次考えたことを述べてゆきたい。(※ 尚小見出しは原文に則して読みやすくするため加えさせていだだきます。)
 
目立ない形ではあるが   着実な形で進展している

 1、はじめに

 1965(昭・40〉年11月18日、京都府立聾学校では、高等部の全生徒が当日船岡山公園で行われる予定だった学校行事の写生会を拒否して登校し、生徒集会を開き、自分たちの立場を明らかにするビラを全職員、生徒に配布するという事件がおこった。

 これが問題の直接の発端である。
 ここにまとめた資料は、この事件を発端とする一連の問題の発展を、それと密接なつながりを持ってきだわれわれ京都府下の成人ろうあ者の団体、社団法人京都府ろうあ協会の立場から、跡づけるためのものである。

 問題の根は広く深かった。
 それだけに当初の発展は人目を奪う劇的なものだった。
 そして、今も目立ない形ではあるが、引き続いて着実な形で進展している。


  全国の関係者の方々にありのままの形で出し
     有益なご批判をいただいておくことの必要を痛感

 われわれは、今の時点で歴史的、社会的に見たこの問題の本質や意義が十分客観的に正しく把えられるとは思わない。

 それはいずれわれわれの今後の努力や、この社会のほんとうの民主化を目指す国民運動の発展によって当時われわれが提起した課題や取組みのあり方が、歴史の発展の法則にかなっていたかどうかを正しく評価され位置づけられるものと思う。

 それだけに、きわめて劇的だった当時の発展を、出来るだけ評価をまじえない確実な形で整理しておくこと、又、この際広く全国の関係者の方々にありのままの形で出し、有益なご批判をいただいておくことの必要を痛感する。

 これがこの資料集の作成を企画した目的である。

 ただしその前に、この資料集をよりよく理解していただくために、問題が劇的な形で表面化していった当時に、われわれ成人ろうあ者集団京都府ろうあ協会がどのような状態にあったかを、別の資料として、「まえがき」の形を借りて述べておく。
 
   われわれの努力はどして報われないのか

  同じ頃、われわれはある一つの課題をかかえて緊張していた。

 任意団体として発足した京都府ろうあ協会は、昭和31年5月10日に京都府より社団法人認可を受けている。

 昭和41年はちょうど、この認可を受けてから10年目であった。


 この10年目を一つのエポックとして、今までわれわれがして来た仕事に一応の区切りと評価を下すこと、より具体的には10周年記念式典(大会)を挙行すること、付帯事業として「京都府ろうあ協会史」を編纂すること、「全国ろうあ青年研究討論会」を開くことなどが当時のわれわれの議題にのぼり、そのため連夜理会が招集されていた。

 われわれは長い間文化的、娯楽的な事業の他に、次に記すよういくつかの政治的、行政的目標をかかげ、その実現に努力してきた。

一、手話のわかるろうあ者のための専任福祉司をおかれたい。

一、成人ろうあ者の文化、教養活動の中心としてのろうあ者会館を設立されたい。

一、身体障害者雇用促進法を完全実施されたい。さしあたって府・市の公務員にろうあ者を採用されたい。

一、ろうあ者にも自動車運転免許を与えられたい。

部分的な成果はあった。
 しかし、この中一つとして当時完全に実現されていなかったし、今も実現されていない。


 低賃金、住宅難、結婚難、意志疎通の困難、職場,家庭での疎外、差別--さまざまな悪条件の中で生活している会員の切々たる声を受け、上に向っては押しても引いてもびくともしない政治の厚いカベに行き当り、われわれは正直に言って疲れていた。

 われわれはなぜこんな条件の中に置かれなければならないのか。

 この条件はどうして改められないのか。

 われわれの努力はどして報われないのか。

 これからわれわれはどうしていけばいいのか。


--「京都府ろうあ協会史」の編集をめぐって、われわれは、これまでの活動の総括として、この問いにわれわれなりの答を出すことを迫られていた。会議のたびにこの問いをめぐって熱い議論が交されていた。
                                                                                                          ( つづく )

 

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