2013年7月8日月曜日

ろう学校に手話を導入することだけでは ろう教育は変わらない


 

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
 これまで、1970年代に中心的に取り組まれた京都の障害児教育。
 とりわけ、京都府立盲学校舞鶴分校・京都府立ろう学校舞鶴分校(盲ろう分校)と髙野小学校との共同教育の取り組み、山城高校の聴覚障害教育の取り組み、与謝の海養護学校の設立までとその取り組み、当時の教育委員会の状況など今日ほとんど知らされていない教育の一部を紹介してきた。


 これらの中に未来への遺産としての障害児教育の教訓があると考えている。
 だが、これらの教訓を研究者はもとより多くの教職員が知ろうとしないのはきわめて残念なことである。

  特別支援教育は
            障害児教育の「元年」だろうか

 当時の教職員は、あらゆる機会に自分たちの取り組みを報告し、多くの人々の意見を聞いている。子どもたちの意見や文章も子どもたちから求められない限り、子どもたちの意見や考えを「すべて」残している。

 一人ひとりの子どもたちの意見をどこまでも尊重した証でもある。

 だが、それらの記録は謄写版の手刷り印刷であったため今開いて読んでみると紙がバラバラッと散り去るほど脆くなっている。
 何とか、この記録を保存したいとN教育大学の教授と取り組んでいるが、この貴重な資料を見ることすらしないで過去の障害児教育と決めつけ、バッサリ切り捨てる人が多い。


 だが、そういう人ほど歴史的に誤りとされ多くの障害児を差別・選別の能力主義をあおる手法を、「現代特別支援教育の元年」として、障害児教育が行き着いた最先端とまで持ち上げている。

 はたしてそうなんだろうか。

   ろう学校に手話を
  教職員が手話教育を!でろう教育の未来が見えるか

 そこで、これから京都府立聾学校の過去の教訓を学ぶとどのようなことが現在のろう学校の課題となるのかを述べてみたい。

 まず、最初に述べておきたいのは、ろう学校に手話を。ろう学校の教職員は手話が出来るようにすべきだ、と盛んに主張する意見について述べておく。

 ろう学校で手話が取り入れられたとしても、ろう教育の未来は保障されるわけではない、ということである。

 口話教育に対抗手話教育で、ろう学校教育が変わるかのような単純な問題ではない、ということである。
 
 


 このように書くと批判が続出するだろうが、すでにこのブログで書いた未就学のろうあ者やろうあ者の人々の暮らしを読んでからご批判いただきたい。

  日本手話や音声対応手話
       などは近年勝手につくられた名称

 第二番目に強調しておきたいのは、日本手話や音声対応手話という用語は、ある人々が言い出したことで、明治生まれ以降のろうあ者から手話を学んだものとして、教えていただいた方々に尊敬の念を添えて書いておきたい。

 自分たちの使っている手話は、日本手話や音声対応手話などと区別しないで「手話」と言っていたことを。

 そこには、音声言語の影響を受けたものもたくさんあったし、またろうあ者同士が話し合うために創造されてきた手話もたくさんあった。

 線引きをする、区別することすら出来ないほど、ろうあ者の人々はコミニケーションをはかるために「あらゆる叡智」を出してきたのである。

 そのことが無視されているのではないろうか。

  ろうあ者の人々が創造してきた手話が破壊される時代
           底流でろうあ者の叡智を否定する

 いや、ろうあ者の人々が創造してきた手話そのものが崩されている時代が今ではなかろうか。

 そのことを踏まえずして「特定の人が作った手話」を教育現場に強要するのは、標準語の名の下に日本語が画一化されてきた時代に逆行するのではないか、と思う。

 すでに述べてきたように、教育は教育としての基礎の上にろう教育を考えなければならないと思う。

 京都の手話で、教える、と言う手話は人差し指を横にして目の前から前後に振る、という表現であった。
 この手話をめぐって、明治、大正、昭和の初期をろう学校で学んだろうあ者は、先生が黒板に書いたことを棒で指し示した。
 でも、しばしば、いたずらをしたり、理解出来なかったこと場合、先生はその棒で生徒をシバイタ、と言う。

 そんなところから教えるという表現が出来たのかもしれないと思っていると、あるろうあ者は、学問の神様の北野天満宮の鳥居を省略したものであるという。

 手話表現ひとつでも、いろいろな意味合いが含まれているのである。

 が、学は、人差し指を曲げて眼の中に入るという手話表現である。

     眼に入って 学ぶ

 学ぶこと、すなわち目を通して知っていく、という表現なのである。

 こういう手話に重ねられたろうあ者の生活と想いと創造を踏まえないで、単に手指だけになる。

 しかも、手話テキスト通りの手話をろう学校に導入しても、それは本当に生徒のコミュニケーションを発展さたいという要求にはならないろう。

 ろう学校の卒業生から見れば、教えるということと学ぶということは、同列ではないのである。
 

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