2012年7月16日月曜日

学ぶものは学んで日本として独自の聴覚障害教育を


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(23)

  青年期はそれまでの自ら受けてきた教育
                            に対する「総括期」でもある

D君が

 自分が健聴者から差別や偏見を受けたり、自分より重い聴覚障害者に差別や偏見を持つ危険がありました。

と自ら述べた青年期は、それまでの自ら受けてきた教育に対する「総括」でもあり、当時盛んに言われていたインテグレーションの問題点を突いた提起であった。

 さらに、今だ一部の人々がくり返し言って「ろう教育の9歳の壁」「9歳の壁」問題に変更を迫るものであった。

 すなわち、

  私は小学校4年の頃に学校生活における自分の立場を理解することになり、いつまでも遊んでばかりいられなくなりました。私の学校での成績は、その時から上昇力ーブを描くようになりました。

というこにある。

           つくられた「9歳の壁」に対して

 「9歳の壁」は、音声言語指導や文字指導による「歪み」が生じたものであり、自然発生的に生じたものでないことをD君は指摘しているのである。

 すなわち、「9歳の壁」なるものは、幼児期に教えた教師や関係者が抱いた感覚的感想でしかなく、教育をうけた側の子どもたちの内面に生じている「変化」とそのエネルギーを調べたものではないからである。

 その点では、D君が
 学校生活における自分の立場を理解することになり、いつまでも遊んでばかりいられなく
と自己のな的条件を変化させた力を充分考慮する必要があるのである。
 山城高校の聴覚障害教育は、無理強いしないけれど、だからとといって放置しない、綿密な教師集団の論議と方向性をもって取り組みを進めたが、乳幼児期から青年期を考えて高校という青年期の教育を考えてきた。

インテグレーション・メインストリーミング
     インクルージョンの外書講読

 この時期、京都の少なくない耳鼻科医と聴覚障害児教育に携わる教師たちで諸外国の文献をとりよせ、学習と研究を重ね、それをより具体的に教育実践の場で検証し、検討して教育全体に還流してきた。
 そのためインテグレーション・インストリーミングはもちろん、1978年に出されたイギリスのマリー・ウォーノック(Mary Warnock)を議長とする障害児・者の教育調査委員会の報告書。イギリスの教育法。「スペシャルニーズ」などはもちろん、その後イギリスの教育制度を採り入れたインクルージョンなどの外書講読も含めた検討を行った。

 海外研修の結果と
  照合して

 さらに、1970年代前後は文部省の海外研修に対して京都府教育委員会は、希望者を募ったため積極的に申し出た。

 当時他府県では、海外研究は、管理職登用の道であったため参加した教師たちは巨額な餞別をもらっていたが、参加した京都の教師は自腹も多かった。
 

 そして、文献と海外視察で得た情報を元に聴覚障害教育の展望をさらに深めたが、日本の一部の大学研究者が盛んに絶賛していたインテグレーション・メインストリーミングの実態が事実とあまりにもかけ離れていることがわかった。

 特に教育財政が、他の行政の財政とは別立てであること、「ふるい分けらた」生徒たちが教育対象になっていることもわかってきた。

 学ぶものは学んで、日本として独自の聴覚障害教育方法を

 そのため日本は諸外国から学ぶけれど、模倣は出来ない。
 でも学ぶものは学んで、日本として独自の聴覚障害教育方法を創造していかなければならないとの結論に達していた。

そのため20年ほど前に文部省が、インクルージョンの導入を図っていることの講習会や文献を調べた時も、これはイギリス系教育制度をとり入れている国々と本質的狙いは違うものであることがすぐにわかった。
 
 これらのことは、障害児教育関係の研究者にはまったくといっていいほど相手にされなかったが、大学医学部の耳鼻科医や開業医、教師でつくる研究会ではすでに克服されていた課題であった。

  D君のような文章や発言は、数多くあった。

 私たちは、聴覚障害生徒や健聴生徒(山城高校ではこのような言い方をしていた。)とたえず、意見を交わしながら高校での取り組みをすめた。
 














0 件のコメント: