2012年7月31日火曜日

障害者問題を学びたいと要求した聴覚障害生徒の行動

 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(33)

  基本的人権・人間の尊厳と
       「自尊心」などの教育実践上の大きな違い

 いわゆる「発達障害」の一部の研究者は、LD,AHHD,アスペルガーの子どもたちに自尊心を育てることが大切であると強調する。

 だが、自尊心とは、「自尊の気持。特に、自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理・態度。プライド。」とされ、他人の干渉を排除しようとする心理という概念が含まれている。

 これは、排除の考えであって、連帯の考えではない。
 私たちは、「人権教育」とか、人権という考えを強調しなかった。


 それは、憲法11条・13条の
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。


 とする考えを大切にしたからである。

 自分には、基本的人権が生まれながらにあるのだ。

 それは、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の与えられ、個人が尊重されるのだ。
 これが日本の法律の基本なんだ、とすることによって「自分」も「他の人も」基本的人権があると知り、「連帯の教育」が産まれるからである。

青年期に同じ障害者どうし
 他に障害がある仲間および集団との交流と
 さらに大きな集団の形成が大事であると   考えていた時に

 E君たちは、そのことを具体的に私たちに教えてくれた。

 私たちは、E君がお父さんを土下座させてあやまらせたことを深刻な問題として考えていた。
 そして、青年期の障害者に重要なことは、同じ障害者どうし、他に障害がある仲間および集団との交流とさらに大きな集団の形成が大事であると考えた。


 障害児者はいつまでも孤独ではない。

 自分たちの悩みを受けとめる仲間をさがし、またつくりだしてゆく。

 「同じ障害者の仲間を知ったとき、話したとき、気持がピヅタリして、初対面なのに、以前から友人であったような気がして、うちとけた」

と障害者の集まりにはじめて参加した人はたいていこう語ってくれていたことを想い出したりした。

 仲間や集団は障害児者のいわば生命の源泉であり、エネルギーをひきだす母体である。
 これがあるならばどんなことでも紆余曲折しながらすすんでいける。
 集団の中で障害者は、大きな自己変革をとげ成長していく。
 


と考えた。
 そんな時、驚くような問題提起が聴覚障害生徒から出されてきた。

 聴覚障害に関する専門書・啓蒙書、障害児者関係の本の本棚を作り、出入りする生徒も自由に読めるように

  山城高校の聴覚指導室には、聴力検査室や個別学習室と楕円形テーブルの集団ミーティングの場などが作られていたが、同時に聴覚障害に関する専門書・啓蒙書、障害児者関係の本の本棚を作り、出入りする生徒も自由に読めるようにしていた。
 また、図書館にも同様に関連する本も置いてもらっていた。

え、カンパって何や
 みんなに話するの
   ようせんわそんなこと

 ある日。
 全日制・定時制の聴覚障害生徒たちから


「先生、この集会に出て学習したいけど行けないかなぁ」

と言ってきた。

 河野勝行氏の(歴史研究者)「日本の障害者-その過去・現在および未来」が記念講演の全国障害者問題研究集会だった。
 本棚にある資料や本を見て、このことを知って内々の相談して居たみたいであった。
 


  場所が金沢。交通費、宿泊費、参加費。
 とても、みんなが出せる費用ではない。

 でも、どうしても障害児者問題を学びたいとみんなの意見が一致したという。
 障害者手帳1種2級の聴覚障害生徒も多い。

  健聴生徒も介護人ということで一緒に行けば交通費も半額になる。

 でも、宿泊、参加費が重なるととてもとても費用がかさむ、先生、知恵を貸してくれ、と言うことであった。

 本堂でみんなで寝たら良い それでよかったら

 生徒みんなに君たちの気持ちを訴えてカンパをしてもらったら。
 え、カンパって何や。みんなに話するの。ようせんわそんなこと。
 カンパもらったお礼はどうしたら良いの。


 
 いろいろな意見が出されたが、聴覚障害生徒同士の話し合いに任せた。

 すると、健聴生徒が次々とカンパをしてくれて、一緒に集会に参加したいとの申し出があった。
 聴覚障害生徒は、びっっくりして「家族の人の了承もらってから」って言ったとの報告が舞い込んだ。
 でも、費用は足らなかった。

  このような話を教職員で話している時、たまたま来校していたF主導主事が

「実家は富山県の井波の寺。
  金沢から離れているけれど、金沢まで通えないことはない。バス、列車で帰ってきたら、本堂でみんなで寝たら良い。それでよかったら。」

と言ってくれた。
 聴覚障害生徒に言うと大喜びだった。

 でも、この時、E君の人生を変える大事件が起きるとは、誰も予想もさいていなかった。



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