2012年10月20日土曜日

多くの生徒が前向きな具体的行動と実感のある生きる方向をもとめている

     教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
       具体的行動の中で 自分を確かめ 生きる方向を

 保健室にやってくる生徒の多くは、

「自分がキライ」
「うっとおしい奴」
「友だちどうしで話せない。」
「家も、教室も落ちつけへん」
「友だちにキショイって言われる」
「死んだらいいのや」
「教室がうるさいから落ちつけへんねん」
「先生は、怒鳴るだけ。そこら中で聞こえるやろう」
「ガミガミ ガミガミ」

と自分で自分が分かっているように言うが、自分を全面否定している。
 よくよく聞いてみると、

「誰かの役に立ちたい。その実感を持って生きたい。」

と具体的行動の中で、自分を確かめ、生きる方向を追い求め続けているようだ。

   多くの生徒が前向きな思考を望みながらも

 産まれてきた意味や自分の存在への問いかけ。

 学ぶことの意味について、ぐっぐ、ぐっと迫ってくる。

 多くの生徒が前向きな思考を望みながらも、家庭の経済力や学力と自分の位置と言う現実を突きつけられて、マイナス思考にならざるを得なくなっている。
 そんな悩みを持っている友だちが多いのに、メールのやりとりは出来ても直接会って話をすることが出来ないでいる。

   お互いが会話出来ないで深刻になっている

 「友だちにキショイって言われる」
 「死んだらいいのや」


と言われる生徒の回りの生徒の様子を調べても、回りの生徒の話し方がそのような言い方しか知らないことも解ってきた。

 コミニケーションの方法が解らず、

「キショイ」「死んだら」としか表現出来ず、

友だちになろうとしているのにその逆の言い方をしていることも解ってきた。

 そこで、「友だちにキショイって言われる」「死んだらいいのや」と言われている生徒に、

「なーんにも悪い子としてないやろう」
「ウン」
「それなら、からかられても堂々としたらいいの。」
「ソウカナアッ」
「先生が応援してあげるから、なーんにも悪いことしていない。堂々と気にせずにね。」


と話たら、

「先生!いじめられなくなったわ」

って喜んで保健室にやってきた。
 またある生徒は、

「いじめられても保健室にきい日あったけど、保健室があるから、と思ってきいひんかったんや。」
「保健室がなかったら、たえられへんやったやろうなあ」

と言ってきたりすることも多い。

 生徒が、生徒同士顔を見ながら話せば、すぐ分かり合えることなのにそれが出来ないでトラブルになることもしばしば。

 結局、「なーんだ。あなたも同じ気持ちだったの。」となる。お互いが会話出来ないで深刻になっていたことが、トラブルの後で分かるのであるのだが……。
                                        ( 新つづく )


 

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