2012年10月1日月曜日

決して働きやすい職場ではないが 夜間定時制は子供を抱えて働く婦人教職員にとって


        教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 山城高校定時制ではじまった「手作り教材のプリント」が、各教科、国語、社会、理科、数学、外国語、保健、選択教科などにひろがるにつれ多くのことが分かってきた。
 また、多くの改善や要求も必要であった。


  新採で、山城高校定時制に来たある先生は次のような事を書いている。


  私が山定に来て、もうまる五年が過ぎた。
 大学を卒業した春。
 私こそが「デモ・シカ教師」だと半ば自嘲しながら教壇に立ち始めた。


   劣等感をずしりと両肩に背負った彼らは、学習に対する意欲を

 私には、五年もの歳月の流れが不思議に思えてくる。

 特に母親となってからこの1年10ヵ月ほどは、生徒と我が子のはざまで、あれもしなきゃ、これもしなきゃと気持ちばかりが先行して教育実践が伴わないジレンマと、これで私は本当に母親といえるのだろうかとう自問の中で過ごしてきたような気がする。

定時制高校の生徒の現状については、色々なところで述べられているとおり、差別選別の教育のあらゆる矛盾が重り合い、より鋭く表われてきているのである。

 学力・偏差値で輪切りにされ、低学力、のレッテルをはられた生徒たちが、全日制の受験に失敗したから、他に行く所がなかったからと、定時制の門をたたいてくる。

 どうせ定時制しか入れへんかったんやという劣等感をずしりと両肩に背負った彼らは、学習に対する意欲を大方失いかけているように見える。

  もっと打つ手はないのか
    教師としてやれることはないのか、と悩みつつ

 まず、授業に参加させること、学習にとりくませることが課題となる。
 そのためには、わかる授業をしなければ、さらにその前提として、仕事が終れば自然に足が向くようなたのしい学校を作ることが必要だ、として、

「たのしい学校・わかる授業」

をスローガンに掲げる職場全体のとりくみに私もこの5年間加わってきた。
 しかし、それでもなお、学年が進むにつれて、少しずつ生徒は減っていく。


 教科書、えんぴつ一本さえ持たずに教室に入ってくる生徒、講義をしても私語にかき消され、教室の隅々までは届かない。教室全体を見回してみると、こちらを向いている目は、ほんの数人。

 そのうち、欠席がぽつり、ぽつり……もっと打つ手はないのか、教師としてやれることはないのか、と悩みつつも、夜、一軒の家庭を訪問するのさえ、学校を出るのが10時頃という生活では二の足を踏まぎるを得ない私なのである。

 それでもなぜか、私は山城高校定時制を去ることを、本気で考えようとしない。

 子供は、産休明けから年度末までは、近所の知り合いの方に無理をお願いしてみてもらった。

 昨年度一年間は、その春、山城高校定時制を卒業したばかりの生徒に私が出勤する時間だけ家へ来てみてもらい、朝から昼にかけては、私が子供の相手をしながら家事をやり、寝た時をみはからつて、息をひそめながら、授業の教材を作るという生活だった。

      夜間保育所設置を要求する運動が始まった

 そして、今年度は、勤務の実態などを話す中でようやく保育所に入所できた。
 しかし、保育所の迎えから私か夫が帰宅するまでは知人にみてもらうという、夜間保育が保障されていない現状では、二重保育を余儀なくされている状態である。

 民間企業に勤める夫は、別にモーレツ社員というわけでもないのに、帰宅が私より遅いこともしばしばである。

 一方、私が産休を終えて職場に復帰して間もなく、分会では乳児をかかえた私のことがとりあげられ、夜間保育所設置を要求する運動が始まった。
 府教委は交渉の中で、校長が許可すれば校内に保育室を設置してもよいという回答を示した。
 しかし、ホッと安堵の胸を撫でおろしたのも束の間、なぜかこれを一方的に撤回して、要求の趣旨は理解できるといいながら、子供の保育は基本的に父母の責任で行なうものだ、と子供を抱えてしんどいのならやめてもらってけっこうですよ、といわんばかりの回答を続けている。


  子供を抱えて働く婦人教職員にとって
                決して働きやすい職場ではないが

 こうした経過や夜間に及ぶ勤務、また、生徒の状況などから考えても、夜間定時制は、子供を抱えて働く婦人教職員にとって、決して働きやすい職場ではない。しかし、なぜか私は、山城高校定時制を去る気になれない。
                                       ( つづく )







 

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