2012年10月25日木曜日

保健室の思い出が たっっっくさん!!


  教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  なにかが あるからやってくる

 保健室では、来室した生徒には、

「なにかが あるからやってくる」

ととらえ、まずは生徒を受け入れ、共感しながら理解しようとしている。
 生徒には、

「なーに?」
と養護教諭が眼を向けてるが、生徒自身がどうするべきかを考えられるようにしている。
 それは、共感や生徒の現状を「安心させる」「肯定」「自分を尊重」するだけでは、その場の一時しのぎになってしまうからである。
 養護教諭は、日々生徒たちと接している。
 だからこそ、「生徒自身がどうするべきかを考えられる」ことが大切と考えている。
 
 

 「どうしたの?だまって入っちゃわからない」
  「どうしたの?黙って出てっちゃわからない」

 だから、保健室の出入り口の扉には、

「どうしたの?だまって入っちゃわからない」
「どうしたの?黙って出てっちゃわからない」

の文字が背中合わせにはりつけてある。
 養護教諭になって30年がすぎた。

 生徒たちは、変わっても、保健室のあり方や、生徒理解のための教職員との共通認識の難しさと大切さは、変わらないでいる。

 保健室は、学校の中の一つの部屋ととらえられていたのは、夜間定時制勤務の時だけだった。
 つねに社会という大きな枠で生徒の課題を共有できた。
 そのため、多くの生徒の理解のためのヒントも交換できた。

 その時間も充分つくられた。
 
 生徒理解のための意見交換
   知恵を練ることが時間的に許されない

 現在の高校では、情報は多く、生徒たちをていねいに見て考える教育課題が見出されるはずである。
 だが、教職員と生徒理解のための「共有できる」ことや、意見交換して知恵を練ることが時間的に許されない。


 3年間 お世話になりました。
 ありがとー

 先生は学校の天使や♡ と私は思います。(*^o^*)
 保健室のグータラで、グラ・グラの空気が大好きでした。

 手紙が苦手なので、私の詩を贈ります。

 先生は、ほんま常に優しかったです。
 ずっと薫の味方をしてくれていてくれた。
 一年生の時も、二年生の時も泣きついたことが多く困らせたよな。
  ほんまにごめんなさい。

 でも先生がずっと話を聞いてくれて、見ていてくれたからこの通り元気になりました。!!
 最近めちゃくちゃ思うけれど、一年生の時と別人になった気がする。
 それだけよい友だちとめぐり会えました。

 いろいろ大変やったけど、もう大丈夫。
 でも、きっとアヵンくなる時は、また会いに来るから支えてくれますか!!
 お願いします。


 遅刻・早退・しんどくなって、ほぼ毎日保健室に通ったよな。
 先生の顔を見るだけで、落ち着いて、辛い時は勝手に涙出てきて甘えたり……保健室の思い出が たっっっくさん!!
 いっぱいお世話してもらって、ありがとうございました。
                                    ( 新つづく )
 

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