2011年11月24日木曜日

微細で、瞬間を捉えて、それが生活に関わる意味合いを籠めて、表現する手話


Once upon a time 1969

 ろうあ者の協力を得てのインタビューと文章による記録は、何度も行った。
 なぜ文章による記録が必要か、と言うと映像に残してもろうあ者が語る手話の意味を後々の人々に伝わらないのではないかという危惧感があったからである。
 同時にろうあ者の手話の多種多様な表現を記録保存しておきたいという意味もあった。
 す
でに述べたように「市電」という手話も時代、時代で表現が変わったと書いたが、それは市電の運転方法が時代、時代で変わったという反映でもあった。

また来るな、と約束して私は病気で倒れて

 今まで書いてきた文も簡単にろうあ者の手話表現から「見聞き」したものではない。
 ひとつの手話表現の意味を知るために幾度も聞いたり、会話した結果、知り得たことでもある。
 例えば、着物という手話表現でも数多くある。
 着物の袖=大丸と表現された時代もあった。

 売り子さんが着物を着ていたから、との説明を受けてその時代、時代の写真や本と照合したりして多くの時間もかかったし、ろうあ者の思い過ごしもあって繰り返し聞きに行く、という取り組みをした。
 Iさんの話も結婚して、無一文からの京都での生活をはじめたというところまで記録され、また来るな、と約束して私は病気で倒れて長い闘病生活を余儀なくされた。

 医師から手話通訳を禁じられたばかりか、身体全身が動かなくなって倒れる日々が続いた。

 長崎で被爆体験を中心に引き継がれている取り組み

 Iさんの続きの記録を、と少なくない手話通訳者に頼んだが梨の礫で、少し病気がよくなった頃には、Iさん夫婦は死んでいた。
 痛恨の極みであった。
 いつでも出会えるからと身近なひとの記録を後にしたのが……と後悔は尽きなかった。


 これらの取り組みは、全国に行くたびに多くの手話通訳者に呼びかけていたが、長崎で被爆体験を中心に受けとめられて続けられている。そのことも、後に紹介したい。

手指だけの動かし方が手話でない  ろうあ者は表現の「名人だ」

 解らない手話表現があったとき、実に的確にろうあ者は空文字(人差し指で空に文字を書く)・メモに漢字で書く、絵を描いてくれる、別の手話表現で表して「同じ」と示してくれるなど、実に多彩な方法で私に教えてくれた。
 その点では、ろうあ者は表現の「名人だ」と思うこともあったし、手指だけの動かし方が手話でないということも学んだ。
 さて、Iさんの手話表現の「蚕」は、唇の下に人差し指と中指をあてて微妙に動かす表現だった。
「白い」「虫」ではなかった。


 私も「まねて何度もやって見ても出来なかった」。Iさんの奥さんもやってみたが、Iさんと同じように出来ないで大笑いした。
 唇の下に人差し指と中指をあてて、「上下に動かす」ことは出来たが、Iさんはそれはちがう、と人差し指と中指を「交叉にうねうね」と動かした。
 私もIさんの奥さんも万歳してしまって、Iさんに聞くと「蚕が繭を作るときの生絲(きいと)だ」と言う。
 蚕が繭作るときに出すものは、一本の糸になるのとちがうの、と聞いてもちがうと言う。
 その手話出来るように練習わ、と言って帰ってから、京都工業繊維大学養蚕科(当時)の学生に聞いて調べてもらった。
 大学教授に聞いたところ、Iさんの言う通りだとのこと。
 蚕は繭を作るとき二つの液を出してそれを絡ませてる。
 見た目には1本に見えるけれどちがうのだ、と言う返事だった。
  学生も私も「へーっ」で終わってしまっていた。
 ともかく蚕=加悦+谷で、加悦谷がIさんの生まれたところだと理解していた。

ハイスピードカメラなどと
同じような眼で蚕の繭をつくる様子を見ていた

ところが昨年、NHKの「アインシュタインの眼」の放映を見てびっくりしてしまった。
 NHKで、カイコ(蚕)が糸をはきながら繭を作る様子をコマ撮りカメラ、軟性内視鏡レンズ、ハイスピードカメラ等を使い撮影した様子が放映されていた。
 蚕が、頭を8の字を描きながら、2日間で1000メートル以上もの長さの絹(シルク)をはく様子である。
 その蚕の頭の動きとはき出す二本の液体状が絡み合う様子は、まさにIさんの「人差し指と中指」の動きとまったく同じだった。
 驚愕以外の何物でもなかった。
 ハイスピードカメラなどと同じような眼で蚕の繭を作る様子を見ていたIさん。

 またそれを表現したろうあ者の人々の手話。
 この「二本の液体状が絡み合う」ことで絹糸の品質が決まる、と言うその瞬間を写し取って手話にする。
 なんと微細で、瞬間を捉えて、それが生活に関わる意味合いを籠めて、表現する手話。
 あまりにも見事さに、奥深い手話表現の意味を知った。


養蚕農家、丹後縮緬、西陣織のほとんどが
    消え去ったようにみえるが

 Iさんたちの蚕という手話表現は、京でもほとんど知る人はいなくなっただろう。
 養蚕農家、丹後縮緬、西陣織、さまざまな行程でろうあ者が働き、日本の経済を支えてきたものは消え去ってしまった。

 でも、このIさんの手話に籠められた生活や哀しみ苦しみ、それでも大笑いする人生は知ってほしいと思う。



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