2011年11月6日日曜日

時代と生活を反映した手話表現はひとつではない


Once upon a time 1969

ろうあ協会の電話設置。ろうあ者によるろうあ者の電話。

1日経っても、2日経ってもかかってこなかった。
 聞こえないから電話できないという当たり前のことを私もOさんも気づかなかったのである。

 電話がついたら、電話がかかってくるもの、と思い込んでいたのである。
 そのことに二人とも気がついた。


聞こえない人は、と言うけれど

 「聞こえないろうあ者は~」といっも言っているOさんが気づかなかったのである。
  「聞こえないろうあ者は~」と言うのは、本当にみんなの気持ちを汲んでいっていることではない、と言う私にOさんはうな垂れてしまった。
 Oさんは、ろうあ者相談員。私は手話通訳として共に行動することがあったがそのことでしばしば意見が対立すした。


「手真似」を「まねる」手話学習

 その前に、私が手話をどのように学んだか、を説明しておきたい。
 手話は、ろうあ者と接して、それを「真似て」覚えた。
 ろうあ者の人々は、手話と言うより「手真似」(てまね)と言う人も多く居た。
 真似る、と言う手話は、手をさしのべて「つかんで」、頭に入れる、という動作が「手真似」であった。
 今思えば、「学ぶ」は、「まねる」という言葉が語源であるから、どうも「明治時代の盲唖院」時代の「手勢法」などに由来しているのではないかと思う。


時代を反映した手話表現はひとつではない

 そのため会うろうあ者のひとりひとりの手話を「まねる」ようにろうあ者から言われた。
 しかし、これは大変なことであった。
 明治時代、大正時代、昭和の戦前、昭和の戦後を過ごしてきた人の手話表現は大きな違いがあった。


 例えば、「市電」。
 明治時代に生きた人は、手をぐるぐる回す。
 大正時代、昭和の戦前を生きた人は手を「└┐」と動かし、昭和の戦後を生きた人は市電のパンダグラフを。左手の二本指を電線に見立てて右手の二本指をパンダグラフに見立てて左手の二本指に右手の二本指を這わせて市電の動きを現すなどさまざまであった。
 今、市電がなくなったためこの手話表現は、「死滅」させられているが、日本で最初の電車である路面電車が京を走り、それに乗っていたろうあ者は無心になって市電を運転する様子に魅入っていたことが解る。

路面電車の入り口に居ると雨に濡れる

 昔は、ドアーがなかったから、雨が降ったら入り口に立って居たらずぶ濡れになった、と言うろうあ者の話をきいて調べてみたら明治時代初期、京都で走った路面電車には、ドアーがなかった。
 その頃の線路が未だ残っている、と言われて堀川沿いの道を案内してもらってアスファルトに埋もれたレールを見たときは驚と感動が入り交じった。今はレールは、全く残っていないが…。
 

写真は、二条城を横に堀川沿いを走る路面電車である。

 ひとつの手話表現を見るだけでも、あるものやある出来事を一瞬で現す知恵と表現力の素晴らしさに驚く。
 現在つくられた「新しい手話」は、広く広められているが、市電を手話で表すならば「京都」「市」「営」「路面」「電車」と5つの動作(手話)をすることになるだろう。

 だが、市電の特徴を「ひとつの手話」で表現されていた頃のほうが、はるかに豊かで解りやすく特徴を捉えた「手話」だったと思う。
 だだ、「手をぐるぐる回す」手話表現が何故なのか充分理解できなかったが、オランダで路面電車を保存し、実際に運行している様子のテレビを見て、ハッとした。

 古い路面電車は、手をぐるぐる回してブレーキをかけ路面電車を止める運転の仕方だった。

 そうなんだ、そんな路面電車が京を走っていたんだ、という押さえきれない感動が巻き起こった。


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