2011年11月3日木曜日

消せぬ怒りの炎は広がりつづけた


Once upon a time 1971

単なる「筆談」でないものとして読み込むと

 福祉事務所長の「筆談」は、紙に鉛筆で書かれたもので紙質も悪く、もうほとんど消える寸前のものであった。
 この「筆談」を読むと


1,漢字とひらがなの使い分け。
2,ひらがなで書いても「よけいにことばの使い回し」が分からないところ。
3,「筆談」で相手に自分の主張が通じたと思っているところ。
4,両日とも不在だとしているのに書いていることにおかしい部分があること。
5,そして、文から読み取れるろうあ協会や聞こえない人々とのこと。
それかりか、この「筆談」には、四十数年経った今日でも「色あせないで」いる障害児者問題の  多くが内包されている。

「我々は抗議する!!」という見解を出したが

 1968年10月13日付け山城ろうあ協会は、機関紙を4ページにわたる特集を組んでいる。
 そして、事実関係を調べた結果、「我々は抗議する!!」という見解を出しているが、そこには福祉事務所長にもう一度確かめたときの話が掲載されている。


市の方びっくりしている とりちがえでないのか

 所長の話は、「筆談」とまったく異なった話となっている。
 その所長の話したことは、次のようなこととして書かれているので、全文を掲載する。

「この記事を見て新聞に出たことについて市の方がびっくりしている。」
「職員同志が笑顔で話ををしたりすることがありますね。
 あなた方が窓口へ来られた時に、福祉の職員が自分達を見て笑うとうことをいわれる。そうではないかということです。職員が笑うから不快な気分になる。」
「誤解だけで書かれては困ります。」
「誤解でちがうかということ、事実なら私があやまります。今後こんなことがないようにしなければなりませんので」
「あなたには事実と思っていても、私も職場の責任者として両方とも疑いたくありません。でも話だけでは、証拠が残らないので決めて手もない。
 全ての人が納得のいく証拠があるならもっとこの問題もハッキリ出来ます。が、云うた云わんというのは問題があいまいになるということ」
「記事に書くとかいうことはハッキリした証拠がないといろいろ問題があとに残ります。」
「新聞の性格とはどういうことですか。あなたの主観ですか。みんなとは-しかし書いてあるのはあなた方が窓口に来られた時のことでしょう。
あなたの不快の原因は、あなたのとりちがえということはありませんか。そういことも考えられる。」
「どういうことかよく分かりませんが、少なくとも私は、ろうあ者の方が窓口に来られても、普通と同じように親切に気持ちよく応対することを心掛けている。私の気持ちは、職員も同じように、心掛けている。」
「(ろうあ者厚生対策事業費について地元新聞には)ろうあ者とかいていますが、身体障害者に対する予算として使うようなことをしています。
 たとえば、研修会の講師謝礼とか会場使用料とか必要に応じて支出することにしています。43年3月まで、今年初めて予算をとった。ろうあ者の方々だけでなく盲人の方もこういう計画があれば使ってもらうことにしています。
 だから計画書を出してください。」


 読んでみると混乱するかも知れないが、所長は「筆談」で書いたことをまったく忘れているか、書いたことを軽んじていたか、ろうあ者は読めない、と思っていたか、さまざまに解釈できる。

ろうあ者やろうあ協会への誤魔化が許されなくなる時代へ

 それまでは、所長のようなやり方で事は済んでいたが、今回はそうは行かなくなって行く。
 所長自ら書いたことと、確かめられたときの「言い分け」が、ハッキリとあきらかにされていくからである。


 京都の北部で、「筆談」で課長が「市長と会う日」を連絡した。
 当日になって仕事を休んだろうあ協会の役員が市役所に行くと課長が「そんな約束はしていない。市長は今日は会わない。」とすごい剣幕で怒り出した。
 そこで、震えながらもろうあ協会の役員が、課長との筆談のやりとりの文を出したところ、急に課長は黙って去った。
 これらのことは無数にあった、だから山城ろうあ協会と市とのやり方は消せぬ炎のように怒りと共に広がっていった。

読み書きが出来ない者と読み書きの出来る者が
   みんなで手を結び合ったとき

 山城ろうあ協会には機関紙を作成する力を持った。
 機関紙4号目で、これまで誤魔化されつづけていたことが広く社会の注目と理解を広めるようになったのである。
 読み書きが出来ないろうあ者もいるけれど、読み書きの出来るろうあ者もいる。

 みんなが手を結び合ったとき、それまで、その場、その場で「誤魔化されてきた」ことに対して、「誤魔化しを許さない」状況が産まれてきたのである。
 1968(昭和43)年7月8日午後2時半頃の「また来よったワ」事件と地元新聞の9月28日付の新聞記事をめぐって京都府教育委員会主催のろうあ者成人講座(同年10月13日 田辺高校講堂)の学習会に集まってきた山城地方のろうあ者に知らされた。
 特に、このろうあ者成人講座の中身が以下のようであったことから講座修了後のろうあ協会の論議は白熱した。

山城ろうあ協会のエネルギーの源泉は、ろうあ者成人講座

 京都府教育委員会が主催して成人ろうあ者のための社会教育の中身は、
1,午前講演「私達の生活と基本的人権」
2,午後 各地域の意見発表
3,劇 山城ろうあ協会「わたしたちも人間だ」
というテーマだった。
 当時、このろうあ者成人講座は、学校に行けなかった未就学のろうあ者、読み書きの出来ないろうあ者、いくつもの障害のあるろうあ者が多数参加し、ろうあ者同士が学び合うことを目的として開かれていた。
 この講座を通じて、読み書きはもちろん、仲間や支え合い、助け合いを知った人は少なくない。

 人間は、どんな時期でも、どのような年令でも学ぶことによって人間性を取り戻せるという講座であった。
 この講座が開かれるようになったのは、じつはわけがあるが、また別の機会に説明する。
 この講座は、山城ろうあ協会の源泉になっていた。


             黙っておれぬ

 その日に話されたことは、その日に山城ろうあ協会の機関紙として発行された。
 事件への対応は素早かった。それだけみんなの怒りが爆発したとも言える。
 まず、該当する市ろうあ協会の会長の談話が掲載された。

 


                     黙っておれぬ

 福祉事務所とは、4月からいろいろな点、例えば近畿ろうあ者卓球大会を市で開くこと、山城ろう協婦人部料理講習会など、何か山城ろうあ協会が事業を行うたびに対立状態が生まれた。
 しかし、よく話し合いをもって、なんとかうまくやってゆけると思っていたら、この差別事件。
 黙ってはおられぬ。ぜひ、京都府ろうあ協会にも報告すると同時に、関係者との話し合いの場をもってゆくようにしたい。
 (会社が休みの日があるので)福祉事務所などに行って、そのための日取りなどを決めたい。

 それに続いて山城ろうあ協会の見解が掲載されている。

                   我々は抗議する
 

 事実はこうである。

1 ろうあ協会の2名が7月8日、市福祉事務所に行き(身体障害者団体連絡協議会の会計がルーズであるため、この行政上の責任をただすため)
 社会福祉協議会の仕事をうけもっておられるという女子職員と話し合いをもった。

2 しかし対応に出た職員の態度は公僕として非常に残念なもの。のろのろと出てきて、ぶっきらぼうに用件は、ときいたり、ろうあ者が相談をもちこめないようないやな目つきをしたり、冷たい態度であった。

3 話し合いの中でも、身体障害者に対する理解、認識不足が目立ち。身障者の生活実態が把握されていない点、身障者の自主的運動、たとえば活動の内容・役員の選出方法などわかっていない。
 それを追求すると、福祉事務所は忙しいところで、そんなことばかりやっておられないという言葉が返って来るのみ。
 すごく感情的であった。


4 この内容の記事を山城ろうあ協会4号で一般会員にも伝えた。又行政関係者にも前からの慣習として配布した。
 たまたまこのニュースが新聞記者の目にとまったのか、記者が福祉事務所と話をして真相を調べ、28日の報道となった。


5 その中で(新聞記事)

イ ろうあ協会が7月8日に福祉事務所に行った目的について正しく報道されておらず、一方的にねじまげられている。
 実際、市の助成金が少ないからどうしろということで行ったわけではない。

ロ これは、職員が記者に話したものである。
ハ 又その職員は、二人に対してつめたい態度をとったことを否定しているのみならず、ろうあ協会のニュースの記事は、ろうあ者のひがみによって書かれたものであるとも記者に答えている。
ニ 又会員数の少ないろうあ協会へは助成金額が少なくなっているので、気の毒だと思い、特別にろうあ者厚生対策事業費を出している等しゃべっているが、これほど悪意にみちた話はない。
 何故ならば、ろうあ協会として出しているといわれる1万5千円の厚生対策事業費など、受け取った覚えもないし、ろうあ者の厚生事業に出されたのかさっぱり心あたりがないからである。


6 このようなウソを本当のように、又事実を無実と決めつけて平気な福祉事務所のあり方に疑問を感ぜずにおられない。
 本当のろう協に、1万5千円の厚生対策費が出ているとするなら、そのようなことを全々聞かされていないろうあ協会会員は、ろう協に対する信頼をなくするか、ろう協幹部不信の気持ちをだき、悪くすれば、会員であることをやめていくかも知れない。
 ろうあ者でない一般の人々は、ろうあ協会についてあまり知られていないから「つんぼとは、こんなにいやらしいやつらなんだ」という気持ちを抱かれたりされないということはいえない。
 ろうあ者への理解は、そして連帯は、又遠のいてゆかないと断言できない。


7 このような経過を統合して考えてみた場合、何がわかるだろうか。
 それは、
「私達ろうあ者は差別されている」ということである。
 私達は、その職場も労働条件もよいとはいえず、社会的にも、日本語を十分身につけられなかった」
 今もないということ、一般的にいわれる教養も足らないようで、その地位は非常に低い。
 だからといって、バカにされ、けいべつされ、ぶじょくされ、冷たい目でみられ、人権が無視され、差別される理由はどこにもない。


 福祉事務所はウソツキである。
 統一と団結の破壊者である。


これらの山城ろうあ協会の機関紙の文章は、市を震撼させた。

 そればかりか、ろうあ者の福祉をなおざりにしてきた過去が暴かれることになるとの「動揺」を生んだが、山城ろうあ協会の追求はやむことはなかった。 

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