2012年6月14日木曜日

何百年も昔から女の暮しをしばっていた制約を婦人たちの権利の自覚が打ち破る  1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(7)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(9)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

    楕円は中心が2つ そこに憲法を記念した催しをして

 三題咄の第二の問題は、「地方自治」です。

 敗戦後、新憲法が公布されました。
 公布は昭和二十一年十一月三日で、施行が昭和二十二年五月三日です。


 そこで京都では、この公布の日と施行の日を、それぞれ記念して、さまざまな催しをしています。
 楕円は中心が2つあるわけで、つまりこの二つの日を中心に、ほとんど一年中、憲法行事をして、人びとの暮しの中に、憲法を生かすように徹底きせズるんです。
いちばん困るのは水だ、天びん棒かついで水汲みの苦しい作業

 府立大学の女の先生で国語学の教授なんですが、この方が婦人の地位向上の運動に熱意のある活動をしておられます。
 この人が、京都の田舎、山奥の山村の婦人の集まりに出かけた。


 この村では、つい先ほどまで水道がひけてなかった。
 話しあいの中で


「いちばん困るのは水だ」 

って話になった。
 村の女たちは、小きな時から嫁にきたときも、ずっと天びん棒かついで、水汲みの苦しい作業をつづけてきた。

 これは、こんにちの都会の者には想像もつかない、厳しい自然条件の中での生活の営みです。

 村の婦人たちは、その集りで女の先生の話をきいて、新しい自覚をもって自分たちの暮しを考えた。

 暮しを困難にしている条件……
「まず水だ。水道がほしい」
ってことになり、婦人連は家へ帰っておやじに頼んだ。

 お役人が、そんなことしてくれっこない
     役場まで行くバス代を損するだけ

「役場へいって村に簡易水道をひくように談判してくれ」

ってね。
 しかし、おやじは腰をあげない。


「役場へ頼みごとにいくなんぞ、気が重いし、お役人が、そんなことしてくれっこない。役場まで行くバス代を損するだけだ」っていうんですね。

 母ちやんたちは、また女の先生に相談した。
 
先生は、


「京都府庁に相談してみなさい」

と教えた。
 村人にとっては、役場へいくだけでも気の重いことなので、まして府庁なんぞへ話にゆくなんて考えたこともなかった。
 しかし婦人連は、水道ふ設のねがいをもって、府庁にやってきたんです。

 私あ、あいにく居りませんでしたが、副知事がこの人たちとあって話をきいて

「どうして、もっと早く来なかったんだ」

ってことになった。
女の暮しをしばり、村の生活を貧しくしてきた水汲み作業の制約を、婦人たちの権利の自覚が打ち破った
 5分とかからない聞に、この山村に簡易水道をひくことがきまりました。

 何百年も昔から、女の暮しをしばり、村の生活を貧しくしてきた水汲み作業の制約を、婦人たちの権利の自覚が打ち破ったんです。
 この母親たちも、府がつくった憲法のパンフを、女の先生の指導で読んでたんですね。
 この中で


「おやじたちは、やっぱりおくれている」

って話になりました。

    知事は、雑貨屋のおやじ 住民の使用人

 そもそも地方自治体ってものは、地域住民の組織です。

 住民の要求を具現化してゆくためにあるのです。
 みんな、困っていることやして欲しいことを、何でも府庁に言ってくればいい。
 

どんなことにでも耳を傾けますよ。

 知事なんてものは、雑貨屋のおやじ……住民の使用人なんですから。

 それなのに陳情書……これも要望書とすべきなのに……などに「知事閣下」なんて書いてくるのがありますね。

 私は、これまで二十三年間、民主府政に尽くして参ったつもりですが、それでも、まだ一般には、地方自治の本当の姿ってものは理解されていません。

   「内務大臣閣下」などという感覚が

 昔は府庁などというと、内務省の局長クラスの人が知事になって、内務省の出先機関だった。
 


 だから、今だに「内務大臣閣下」などという感覚が、一般の間に潜在しているんですね。


 

0 件のコメント: