2012年6月13日水曜日

「あ、ぼくのバスが来た」って 喜んで乗りこんででゆく養護学校の生徒の姿に 1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(6)



教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(8)

   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。
  生きる権利も働く権利も学ぶ権利まで侵害

 せっかく憲法が、それほどの国民の基本的人権をみとめていながら、生きる権利も働く権利も学ぶ権利まで侵害されている。
 これが日本の教育にいろいろの問題を起している根本であると、私は思います。
 そこを追及することが、いちばん大事なことなんです。

 中教審の委員にしても、こうした精神がないから、あんなものを選んでるんだ。 その中の天野貞裕なんて文部大臣やった男……その前は私なども同僚でしたが、文学だの、カントだのやってた……あの時分には、わりとすすんだ男だった。
 しかし、自民党政府の文部大臣になるやいなや、変になっちやった。
  まさに、存在は意識を映定する。


      憲法の存在が   日本の教育を決定する

 日本における憲法の存在が、日本の教育を決定する。

 日本の教育の、いちばん大事なところです。

 ことに主権者である国民が、一部の権力者の意志によっで主権者としての影がうすくなって、国民の基本的人権、第九条に明示される「個人の尊重」があやしくなっている。

 つまり、いまの日本では、教育め基本が危うくなっているのです。

あ、ぼくのバスが来た

 たとえぱ、心身障害児への教育の保障は、国は、いまだにちゃんとやらない。

 私ども京都で養護学校をつくって、通学バスを動かしてますが、これまで自分では全然バスの乗り方も判からなかった子が、先生と一緒に利用する。

 「あ、ぼくのバスが来た」

って、喜んで乗りこんででゆく姿を見ることができるようになりました。

 これは、たとえですが、基本的な人間の権利を守り支えてゆくこと。

 これを実行するのが、われわれの使命であり、政治の根本的な課題だと思います。

 この、個人を尊重する政治、ができれば、教育の基本は、もつと固まってくるのです。

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