2012年6月15日金曜日

住民自身で自分たちの暮しを守る 必要なことは自分たちが決めてこれを行う   1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(8)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(10)   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

       地方自治体は住民の意志にもとついて定められ 行われる

 もともと村落というのは、昔、人間が食糧のある住みやすい所へ集まって、群れになった。
 その群れになった人たちの共同体としての自治と自律が、村を形成する始まりだったのでしょう。


 群れが村になった。

 昭和二十二年四月に、地方自治法が公布されましたが、憲法には、第八章第九十二条、はっぎりと地方自治体が、地方公共団体の住民の意志にもとついて定められ、行われるものだとうたってるんです。
 それが地方自治体の本旨なんです。


 人間が群れをなしてからの歴史と、現代的な役割と将来の展望とにもとついてとらえることが必要です。

国の行政とは全く独立して 住民自身で自分たちの暮しを守る

 それをさらに具体的にいって、地方自治の本旨とは何であるのか。
 私は、こう老えてるんです。
 一定の地域の住民が……何々町、何々村って、あれですね……自分たちの暮しを守るために、自分たちでつくってゆく団体、それが地方自治体あるいは地方公共団体というんだ……と、私は解釈してるんです。
 あくまでも、住民自身で自分たちの暮しを守る。
 必要なことは、自分たちが決めてこれを行う。

 したがって、国の行政とは全く独立のものなんです。
 自分たちの意志で、必要だと思うことは自分たちで実行する
 京都府は京都府でやりやいい。
 国の予算に関係する部分はしかたがないですけれども、それ以外のことは、自分たちでやるってことです。


 国に「お願い」なんぞはしない。

  地方公共団体は、国の一部なので、国の仕事もやらされるし、国に手伝ってもらうこともある。
 そういう意味で、国と事務連絡することはあっても、赤坂なんぞで「話しあう」ってんで、一杯のませるなんてことはしない。

 よその県では、○○対策本部などを作って、自身の問題を、何かといえば、国に陳情にいってるようですが、私ども京都では、その必要を感じないし、自分たちの意志で、必要だと思うことは自分たちで実行する。

 大事なことは義務よりも
  納めた税金がほんとは何に使われているか

 二十三年聞、京都では、そのやり方で無事過してきたんです。
 大体、何かというと中央官庁へ陳情にいくのは、国の予算編成および執行について知らないからです。


 いや、知っているからこそ、裏口からの陳情が必要だというならその姿勢は、全くうしろ向きで、そんな政治感覚で、住民の権利の代行をするなんてとんでもない話です。


 また住民におもねって、住民の陳情団などを大勢くり出して交渉に使ったりするけれど、それらの経費は、みんな住民の税金でまかなわれているのですから。
 学校の社会科では「納税は国民の義務だ」なんて教えますが、大事なことは義務よりも、納めた税金がほんとは何に使われているか……問題は、そこのところをよく見つめていかなければならないわけです。

 大蔵省へのデモンストレーションや、お偉い役人のために貴重な税金をムダに使われるのでは、たまったものじゃありません。

皮膚感覚の海外旅行 赤坂で接待 必要性は感じたこともない

 なかには、よく海外へ、視察、に行く役人がいますが、外国語もさっぱりわからない.のが外国へいく。
 そこで何を見てくるんでしょう。

 よっぽど皮膚が発達してるのか彼らは「皮膚感覚で感じとってくるんだ」という。
 私にも、よく外国視察に行ってこいって、おすすめがありますが、私は、そんな必要感じません。

 ご招待くださるなら考えますが、実際いったってしようがないですよ。
 
ロンドンはロンドン、パリはパリなんです。
 絵に描いてあるとおりですよ。

 簡単に外国視察といいますが、私の府知事の給料で、ポケット・マネーでいく余裕はありません。
 行くとすれば、京都府民の税金の中から旅費を出すことになります。

 慢然とした旅行のために、住民の貴重な税金を使うことは、申し訳ないことです。

 

 まして、予算獲得などと称して、赤坂なんぞで接待費をつかうなど論外ですし、私は、二十三年間の知事生活の中で、その必要を感じたことは一度もありません。


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