教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
コミニケーションのあらゆる基本は、聴覚障害生徒が学ぶ機会をつくったが、ひとつの方法だけがいいとか、これが聴覚障害生徒にはいいと、はしなかった。
青年期になると、コミニケーションの選択は、聴覚障害生徒自身が考え、自分にとっても、周りの人々のコミニケーションにとっても一番いいものはなにか、を考えることが出来るようなる時期でもあると考えたからである。
一番かんじんな聴覚障害生徒の聞こえの権利保障への関心
聞こえの権利保障に消極的であったが (了)
高1の時と比べて、活動目的は増えた様に思えるが、一番かんじんなのが聴障生たちの気であって、聴障生たちがその気にならない限り、ある目的まで到達するのはなかなか難しい事だと思う。
今までは、主にOHP(要約筆記)で済ませて来て、今年の卒業式に、手話通訳者をつけてもらった程度のものであって、全体的に乏しい様に感じられた。
それも、そもそも私たち聴障生皆が「聞こえの権利保障」、に無関心に近い立場にあったからではないかと思う。
かなり消極的であった 私も聞こえの権利保障の活動に
これからは、聴覚障害者である事を自ら自覚し、「聞こえの権利保障」の活動に積極的に参加し、努力して行くべきだと思った。
最後に、えらそうなことばかり並べたてた。
私も、やはり、「聞こえの権利保障」の活動に関しては、かなり消極的であったと思う。
自分の将来と進路の抱負について
私は、今年の4月6日の歯科技工科の入学式に出席する。
この時からもう私の将来は決まっている様なもんである。
あと決まらないものといえば、勤め先である。
まあ、この先3年間の成果が将来の勤め先に影響を与えるだろうけど、そんな事は現在の私にとってはもうどうでも良い事である。
まだうだうだと言っている私の器はまだ小さい
何の因果でこの道を進む事になったかは、今でもはっきりしないが、本当の事をいってやっぱり不安だらけである。
本当にやって行けるのか、又は自分の性に合っているのかという風に悩みの種はつきない。
歯科技工科に関する興味は確かにあるのだが、やはり半分遊び程度にしか見てない様な気もする。
しかし実際将来の仕事、生活に関わるのかと思うとよけいに不安になって来る。
今さら、あ一だとこ一だと、うだうだ言っていられないという事はわかっているのに、この様にしてまだうだうだと言っている私の器はまだ小さいと見える。
うだうだと言っている割には「後悔」という言葉はどこにも見つからない。
自分自身、後悔だけはしたくないという強い願望を持っているからなのかも知れない。
もう後は後悔せぬ様、がんばるのみしかないと思っている。
Esperanza
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