2012年8月12日日曜日

いじめ 暴力をなくして安全で平和な学校生活が出来るようにするのは 教育の大前提

   
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(39)


2011年10月に明るみになった
 滋賀県大津市の中学校
  いじめによる自殺という悲痛な事件の原因は
  真剣に解明されているだろうか

 2012年夏になって、2011年10月に、滋賀県大津市の中学校で2年生の男子生徒がいじめが原因で自殺をしたことが大きな話題になっている。

 その真相は、まだまだあきらかにされていないが、いじめの内容や学校・教育委員会などの対応が明るみになり、波紋は広がる一方である。


  聴覚障害姉妹へのしつような体罰をしたとされる
 講師をやめさせることで問題を隠した教育行政の重大責任は

 だがこの問題をめぐって2011年6月に明るみに出た次の事件との関連で問題がふれられていないのはどうしてなのか理解に苦しむ。
 20011年6月に次のような趣旨の報道がなされた。

 大津市立中学校で特別支援学級を受け持つ講師が、学級に通う姉妹に体罰を繰り返していたとして、大津北署は10月19日、傷害と暴行の疑いで、元臨時講師を逮捕した。

 逮捕容疑は2009年1月から昨年11月にかけ、中学校の教室で女子生徒=大津市=の頭を殴ったり、尻や首を蹴るなどした上、ペンで手や太ももを突いて軽傷を負わせた疑い。女子生徒の妹に対しても昨年6月から今年5月、太ももを蹴るなどの暴行を加えた疑い。

 同署によると、岩佐容疑者は08年4月から今年6月まで同中学校の臨時講師として勤務していたが、耳が不自由な姉妹が手話や筆談での意思疎通しかできず、唇の動きで授業の内容が理解できないことを不満に思っていたという。

 県教委は今年6月、同容疑者を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にしている。

 すでに依願退職している。

聴覚障害生徒たちの基礎知識がまったくない
         講師に特別支援(難聴)学級を担任させて


 この報道は、非常な問題を含んでいる。

 体罰が許されないのはもちろん、体罰の方法にもあまりにも多くの問題がある。

 しかも、その前提となる聴覚障害生徒たちの基礎知識のまったくない教師に学級を担任させていること。

 その教師は、臨時講師であると言うこと。

 聴覚障害のある生徒たちの学級担任をさせるのに何の基礎知識も持たない臨時講師を担任させている校長・大津市教育委員会・滋賀県教育委員会の重大責任と反省はなく、臨時講師を処分させて退職願を出させてことをすませ教育委員会は何の責任もとっていない。

 教育委員会はこの問題の背景や教師だけの責任でないなど多くの問題を事前に充分知りながら、出されていた意見も無視して「見て見ぬふり」をして、積極的にことの問題解決にあたず、教師個人の責任にして、処分する時は機敏であったことなどなどに多くの批判がある。

 このことは、「耳が不自由な姉妹」が負った精神的肉体的苦痛への援助。

  体罰をしたとだけ決めつけられた教師の状況や話や苦悩を思いやるどころか充分聞く配慮もない。
 さらに問題からの教訓とこれからの聴覚障害教育への方向もなくなく、教師のみの責任追及だけをして教育行政がふたをしている。

 すなわち問題をすべて臨時講師の責任にして教育行政の本来の責任を放棄していたことの証ではないだろうか。

 校長・教育委員会は、体罰問題を云々する以前に教師の責任だけでない多くの問題があることを充分承知していた。


 でもそれを隠し、教師個人の責任にしていたという批判が広がっている。

 このような責任逃れの「体質」と教師個人に責任を追及することと、大津市の中学校で2年生の男子生徒がいじめが原因で自殺をしたこととまったく同一線上のこととして考えるべきではないだろうか。


 頬にぴたぴたとあてられたドス(小刀)にもひるまず

 2012年7月28日土曜日のブログで「いじめや暴力は絶対許さないとする教職員の固い決意と聴覚障害教育の発展」とあえて書いたのは、暴力やいじめが横行する学校では、聴覚障害教育が成立しないばかりか、教育そのものが成り立たなくなるという意味で書いた。

 京都の定時制高校の少なくない学校では、生徒が暴れたり、いじめたり、教職員や生徒に暴力をふるううと「それは生徒指導の問題」として取り扱われてきた。
 だが、山城高校定時制では、そういうことは全教職員、全生徒の問題として考えてきた。

  そして、教師間の激しい論議が行われ、あらゆる配慮をしつつ、よくないことはよくない、と徹底的に生徒に教えてきた。

 このことで、聴覚障害生徒も決して例外にすることはなかった

 現在、インクルージョン・特別支援教育を人権教育だとして声高に叫ぶ教育行政は、少なくない教職員の努力やそれぞれの学校の実情を考慮しないことがあまりにも多い。

 後に書くかもしれないが、暴力をふるう生徒を身を挺して止めていた時、ひたひたと頬に冷たいものがあたる。見るとそれはドスドス(小刀)だったこともあった。
 暴力団を学校に呼び入れて、暴力をふるう生徒の行動をなかったことにしようとしたからである。

 だが、警察に連絡しつつも教職員は命がけで生徒の暴力をやめさせ、暴力をふるわれている生徒を守ったこともあった。



 この時、いの一番に現場から逃げ出した教師が、のちに校長になった。

 こんな教育現場のことを教職員は、今語らなければならないのではないかと思う。

  教育の大前提 
 いじめ、暴力をなくして安全で平和な学校生活が出来る

 
 いじめ・暴力、いじめ・暴力をなくす、ということは、生徒・教職員を守ると言うことであり、いじめ、暴力をなくして安全で平和な学校生活が出来るようにするのは、教育の大前提である。
 でも、このことがしばしば見失られている。

 そのことを放置して、いくら優れた聴覚障害教育をしていると言ったり、言われても、それらは根底的に否定されるべきだろう。

 今回は、連載から少し離れたかも知れないが、あえて、掲載しておきたい。


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