教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
「楽しい学校 わかる授業」を山城高校定時制の教師たちが言い出し、教職員の中に広がったのは、決議をしたり、強要したものではなかった。
ごく自然に広がっていったのだがそれにはわけがある。
激しい論議のはてに 楽しい学校にしよう
まず「楽しい」ということを第一番することについて、これもまた激しい論議があった。
学びに来るのが学校だ。
遊びに来るのが学校か、という意見も飛び出すなかで、和歌山の教育研究集会で蜷川知事が講演した中で京都府下の校長会で言った言葉
「数学の先生が六角形に見えるような学校でなく、朝おきたら、いそいそとね、愛人にあいにいくような楽しい学校にしたら…」
をみんなで噛みしめた。
何度も述べることになるが、山城高校定時制には本当に多くの問題を抱えた子どもたちがやってくる。
そんな時、まず一番に大切にしなければならないのか、高校の第一歩と高校の教職員が生徒たちに発する第一声が大事になる。
入学した生徒の中で一番問題を抱えている生徒(病気・障害・家庭崩壊・いじめなどなど)は、入学式に出てすぐ学校に来なくなことなどがあった。
家庭訪問して時間をかけてじっくり聴くと、入学生の中の暴走族風の生徒を見ただけで中学時代の経験が甦り学校に行くのが怖くなって行けなくなったり、読み書きが出来ない自分は、
「入学式に参加した生徒よりはるかに劣る。高校に入れてうれしいけれど、……」
「中学校の担任の先生にお前なんか絶対高校に行けるはずがないと言われ続けてきた。入学式にでれただけで、それだけで担任の先生に見返し出来た。」
などなど思いもつかない本音を知ることが出来たからである。
さらに退学して、復学してくる生徒の中には、ザ・タイガースの人見豊氏(瞳みのる)が復学した理由に
「私は現在、慶応義塾高等学校で中国語の教師をしている。実に中国語との出会いは古く、高校時代に始まる。当時、学校は好きであったが勉強は好きではなかった。」
と書いているが、
「学校は好きであったが勉強は好きではなかった。」
この言葉は、人見豊氏だけではなく多くの卒業生が言っていた言葉であり、時々家族連れで山城高校定時制を尋ねてくる卒業生がまず言う言葉だった。
心に沁みる「お袋の味」と生徒に慕われる給食
山城高校定時制に来ることが楽しい。
何かひとつ楽しいことがある、それが目的で来る。
学習は、そこからはじまる。
授業の前に学校が楽しい、いそいそ来られる学校にしようじゃないか。
これらの話は、現在ではとても出来ないが当時の職員会議で話された。
職員会議に出るのは、教師だけでない。
事務職や給食調理員、栄養士などすべての山城高校定時制の教職員が参加出来る時間に開催した。
これらの話を聞き入っていた給食調理員さんと栄養士さんは、生徒たちが親元を離れて京都に来て定時制に来ていること、産まれてこのかた両親につくってもらったご飯を食べたことがない生徒などがいることを考えて相談。
後に「お袋の味」と生徒に慕われる給食を作ってくれた。
「給食めあて」で学校に来る生徒もいたが、そんな子に調理員さんと栄養士さんは、
「たまには授業もでーや」
と声をかけてくれた。
これらのことは教職員が思った以上に生徒の心に沁み込んだようだった。
Esperanza
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