2012年8月27日月曜日

卒業して数年経って自分のファイルを見せてくれた卒業生の喜び


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


         ざら紙を購入する予算がなくなった

 「ざら紙を購入する予算がなくなった。」「先生、了解してくれないでしょうかねぇ」と事務部長が言ってきた。

 「例年なら1年もつざら紙購入予算が1学期でなくなってしまった。」と言う。
 当時、全日制と定時制は学校予算の配分をめぐって話し合いを重ねそれぞれの予算内で執行していた。
 今回は、全日制の了解をもらって予算を回してもらってもざら紙を購入出来ないほどになって来たというのである。

  上質紙にしてほしい それならもっと鮮明に印刷できるし
 夜の教室では生徒も見やすいし書きやすい

 私たちは、あらためて手作り教材のプリントが各教科、国語、社会、理科、数学、外国語、保健、選択教科などで広範に作られていることを知った。

 でも、すべての教師が、プリントをつくっていたわけではない。
 高校なのにそこまでする必要はない、と断固反対する先生は「プリントなんで紙のむだ遣い。やめたらいい」と言いだした。

 だが、理科や社会などの先生からは、写真や図形を作成したり、引用したりしていたが、当時の印刷機でざら紙を印刷すると黒くしか写らなかった。

 そのため当時高価だったコピーや写真を引き伸ばして授業中に生徒に見せたりしていた。


「ざら紙より上質紙にしてほしい。」「それなら、もっと鮮明に印刷できるし、夜の教室では、生徒も見やすいし、書きやすい。」
と言う声が強かった。

  へー先生もいろいろ考えて苦労してはるんですなあぁ

 そこで、この際みんな金を出し合って上質紙を共同購入しないか、と呼びかけた。
 思う以上に多くの教師から賛同が得られて、京都市内を駆け巡って上質紙の卸問屋と交渉して大量の上質紙を買った。

 卸問屋の人々は、
「学校でこんな上質紙を大量に買うことは初めて。何につかいはるんです。」
と聞いてきた。
 状況を説明すると

「へー先生もいろいろ考えて苦労してはるんですなあぁ」
と感心して、大幅にまけてくれた。
 この上質紙は早速使われた。
 
     こんな上等な紙 使わせてもらっていいの

「先生、ものすごく見やすいわ」
「今まで、のざら紙はすぐ破けたけど、消でゴム消しても破けへん」
「こんな上等な紙、使わせてもらっていいの」
「夏、暑くて汗が落ちたらしわくちゃになってたけど、今度の紙は何ともないなあ」


とすごく喜んだ。
 当時、教師は知らなかったが、返してもらったプリントを自分でファイルして、帰宅して、何度も勉強していた生徒が真新しいきれいな紙をファイルする時に感動したことをあとできいた。
 


 そればかりか、返してもらったプリントを何度も書き加えて勉強していたが、上質紙は何度書き加えても破れなかってうれしかったとのこと。

 さらに1年生のプリントは4年生になると変色したが、上質紙はそうでなかった、と卒業して数年経って自分のファイルを見せてくれた時には、教師自身が感動した。
  聴覚障害生徒は「わかる、わかる」と言いだした

 この頃になると、

「聴覚障害生徒たちは、聞こえているのか、聞こえていないのかわからない」
「健聴生徒のことを考えて授業をすると、聴覚障害生徒がさわぐ。聴覚障害生徒のことを考えて授業をすすめると、健聴生がさわぐ。」
「一体、どっちのために授業をすればいいのか。」
「もともと、日本語も充分でないのに教えること自体不可能なことなんだ」


と言う意見は出なくなっていた。

 聴覚障害生徒は、「わかる、わかる」と言いだし、健聴生徒は、聴覚障害生徒が先生の話が聞き取れてないと思うと、自然にプリントを指さして、ここを今やっているんだ、と知らせていた。

 授業から聴覚障害生徒と健聴生徒が、友人になり出してきたのである。



    今のおれ

 俺は始め大さんのようになりたい
 と思っていた


 俺は貧乏がいやだった
 大さんは毎日パリッとして学校にやってくる
 大さんのお父さんは町会議員で
 大さんは大学へもいくと言う


 けれど大さんは
 「お母ちゃんお金おくれ」と
 今日も映画を見に出て行く
 そしてのろろんと毎日を送ってい  る


 だから俺はやっぱり
 今の俺でよかったと思う

 今の 今の俺でーー

                       山城高校定時制生徒会文芸部「まど」より


                                          Esperanza
 

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