2012年8月29日水曜日

わかりやすい授業 笑い転げる授業ととも


  教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
 山城高校定時制の「楽しい学校 わかる授業」という私たちの取り組みは、すべての山城高校定時制何らかの影響を与えた。
 聴覚障害生徒を受け入れた教育制度ではじまった山城高校の教育は、やがてすての障害のある生徒を含め(包括)た教育へと広がっていく。
 それには、わけがあるが、以降順次説明していきたい。


  その前に、山城高校定時制の聴覚障害生徒達が卒業前に「自分たちの卒業論文」として書き記したことを2,3紹介しておきたい。


 早く友達ができたが
  すぐ私たちに対する理解が少ないことがわかった時は
     どうしようもない気持ちに

 この山城高校定時制に入学して,もう4年が過ぎ,卒業式を迎えることになりました。
 定時制に入った時、果たして

「4年間やっていけるのだろうか、又、友達はたくさんできるのか」

と思いつづけたけれど、意外と早く友達ができたが、すぐ私たちに対する理解が少ないことがわかった時は、どうしようもない気持ちになりました。
 そして、これからどうやっていけばいいのだろうと、思ったこともあったし、学校へ行くのがいやになった時もありました。
 しかしここで学校をやめれば,自分が負け犬になってしまうと思い、苦しい時も、つらい時も、「何糞、負けるものか」と思い、一所懸命、学校に出てきました。

 2年生になり、選択科目の授業で、やっと何もかも話し合える友達ができたときは、うれしかった。
 今日までやってきて本当によかったなあと思いました。
 必修クラブでバドミントンをT君とやっていると選択科目の授業で一緒に学んでいるK君が、その友達のY君を連れてきて、4人でダブルスの試合をやったこともありました。
 その時、又1人友達 出来たんだと思うと、うれしくなりました。
 この2人のうち1人が3年生の時、クラスが一緒になって、今まで一緒だったT君とはクラスが別々になってしまいましたが、1年、2年と一緒に学んだ女友達もいました。


             一緒に給食を食べに行かないか

 少しうれしいやら悲しいやらわからなくなり席にすわっていると、なんと、バドミントンを一緒にやったY君がいるではないか。
  しかも席は隣合わせで、まさに何が何だかわからないほど、うれしかった。
 そして授業が終わり、給食の時、Y君が、


「一緒に給食を食べに行かないか。」

と誘ってくれた時、私は

「このY君こそ、共に学び、共に行動をする奴なんだ」

と思って

「うん、行こう」

と返事しました。

 1年、2年の時は,私は給食をあまり食べに行かず、教室に閉じこもっていました。
 Y君に誘われて今まで教室に閉じこもっていた自分の行動範囲が広くなり、気分もさわやかになってきました。
 それから、必修クラブのバドミントン部をY君のいる卓球部にかえ、Y君とは共に学び共に行動をした友達となってきました。


 Y君との出会いがなかったら、私は孤独な毎日を送り、それに絶えられなくなって、この定時制を中退していただろうと思います。
 Y君と出会い、共に卓球をやって汗を流したこと。
 とにかくクラブをやってきて毎日の学校生活が楽しくなったことは、私にとって本当にうれしさの連続の日々でした。

 さて、総体(定時制通信制総合体育大会)の1カ月ほど前にY君が、

「人数が少ないから卓球の団体戦が組めないので、君もやらないか」

と私を誘ったが,断りきれず、やるだけやるとのことでやってみることになりました。
 次の日から練習に次ぐ練習の日々で苦しかったけれど、練習のあとはいい気持ちが残りました。

  もう一度クラブをやろう
 とうとう試合の日。
 一所懸命やったけど、やっぱり1位になれず、も団体戦は市内2位。
  その後なぜかしばらくは必修クラブだけ出て、課外クラブの方は出なくなりました。

 2学期の終わり頃のスケー一ト教室の帰り、Y君が、1人でうろうろしている私のそばに来て、

「もう一度クラブをやろう。」

と誘ってくれました。
 私はさっそく次の日からクラブに顔を出しましたが、Y君はよろこんで迎えてくれました。

 4年生のクラス替えの日。
 又Y君と同じクラスに決まったけれど、1年から3年まで共に学んできた女友達とは,クラスが別々になり、本当につらかった。

 とにかく私は4年生になっても卓球を続けていた。
 4月に部員がふえてよかったと思いました。


 なぜならば、私たちが卒業した後,クラブはどうなるのだろうかと思っていたところだったからだ。

出会いが,高校生活をこんなに思い出深いものにしてくれた

 途中で何回も、学校をやめようと思ったこともあったけれどY君や卓球部だけが私の心の支えであったように思われます。
 試合のたびに他校の人たちと交流ができるし、友達もできました。

 私にとって卓球は、なによりも生きがいを感じたスポーツだったろう。
 Y君と出会い,いろいろなことが頭の中に思い出されてくる。

 試験が近づくと2人で勉強したこと。
  修学旅行のこと。ドライブに行ったこと。
 そのほかいろいろなことがあった。

 苦しいこともあったし、楽しいこともあった。
 Y君との出会いが,高校生活をこんなに思い出深いものにしてくれたのです。
 もっと早くY君のような友人と出会い、卓球部と出会えていたら、悲しい思い、つらい思い、悲しい思い……などしなくてよかったのにと思うこの頃です。

 4年間定時制で学んできて、たくさんの友達との出会い、良き先生方との出会い、わかりやすい授業。
 笑いころげる授業。

 本当に4年間学んできて、本当によかったと思います。

                                                                                      Esperanza

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