2012年9月10日月曜日

再び学びなおすことを 再学習権のはじまり

 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


     学びなおすことを権利ととらえてくださいよ

 京都大学助教授(当時)の田中昌人先生は、何度も「学びなおすことを権利ととらえてくださいよ。」と何度も私たちに言われた。

 
 「学びなおすこと?」


 「そうです。就学免除がなくなってもただ義務教育を終えた卒業証書を渡すだけではダメなんです。きちんと学習が保障されないと、それが出来なかった場合は、学習出来なかったことをもう一度学びなおす。このことは権利なんです。」

「それは、小学校や中学校ではありません。人間の生涯にわたる権利として捉えてください。」
「ぜひ、あなたたちの山城高校でもそのことを実らせてください。」

  この話を聞いた時は、十分理解出来なかった。
 でも、G君は、強烈にそのことを私たちに教えてくれたと言える。

 まず、先に田中昌人先生が「人間発達の科学」で書かれていることを紹介しておく。
 山城高校の聴覚障害教育がはじまった頃でも今でも「ろう教育における9歳の壁」が論じられているが、青年期の聴覚障害生徒が自ら書いてくれた卒業論文は、以下の田中昌人先生の考えがすべてあてはまった。


  「4年生の壁」と教育課程研究の必要(人間発達の科学より)

 聾学校においては早くから「4年生の壁」ということが指摘され、論理操作の指導における困難が指摘されてきた。
 発達障害においてはこの時期を越えられることが精神薄弱か否かの指標とされ、通常のばあいでも低学年の学力と高学年の学力の質の違いなどが経験的に指摘されてきた。


 ピアジェ(Piaget.J.)は、この時期を具体的操作から形式的操作への移行期としてとらえ、対象世界を処理するための概念的枠組が安定してくる時期とした.分類、系列化、同等性、対応などの操作をし、群性体が形成され、いわゆる保存概念ができ、可逆性が成立しはじめる。
  このような新形成物ができる時期である。「可逆操作の高次化における階層一段階理論」では、5、6歳ごろにあたる3次元形成期に発生した新しい発達の原動力がその後弁証法的な充実を経て、9、10歳ごろ弁証法的な否定をおこない、1次変換可逆操作をなしとげるとみる。

 したがってそれまでの階層間の移行でいうと6、7ヵ月ごろの回転可逆操作から連結可逆操作への移行、1歳半ごろの連結可逆操作から次元可逆操作への移行につづく、出生をふくめると生後4度めの階層間の移行にあたるときである、次元可逆操作から変換可逆操作への移行という大きな発達の質的転換をなしとげて発達的不可逆性を成立させる。

 これが十分な弁証法的充実を前提に弁証法的否定がなされていないために、新しい教育課程についていけないことがおきているとみられる。

     9、10歳の壁としてこの時期だけを問題にするのでなく

 したがって、いわゆる9、10歳の壁としてこの時期だけを問題にするのでなく、過去4回の発達の原動力の生成過程をみ、とくに5、6歳ごろに発生した原動力が十分弁証法的に充実したうえでこの時期の弁証法的否定がおこなわれているかどうか、その発達過程との関連で教育課程の形成的評価等がおこなわれていく必要がある。

 それによって低学年の教科が高学年へのたんなる導入でなく、就学前もふくめた教育の総括としての性格を十分もたせる必要があるかもしれない。
 それはさらに学校教育だけでなく社会教育の総括の時期としても重要なのではないだろうか。
 こうした点からの検討をかさねて、家庭教育、学校教育、社会教育の3つを総合した教育の全体過程に1つの区分をつける必要がある時期ではないかと考える。

 したがってこの時期は再教育の保障もふくめて進路がひらかれていなければならず、教育課程編成における真の意味でのゆとりが保障されなければならないときであると考える。

  反芻しつつG君の再入学を考えた
  家庭教育、学校教育、社会教育の3つを総合した教育の全体過程に1つの区分をつける必要がある時期。

 5、6歳ごろに発生した原動力が十分弁証法的に充実したうえでこの時期の弁証法的否定がおこなわれているかどうか。
 その発達過程との関連で教育課程の形成的評価等がおこなわれていく必要がある、とも反芻しつつG君の再入学を考えた。

       「群衆」が一瞬にして居なくなった寂しさと不安

「先生。先生。もう一度山城高校定時制に戻れないか。」「戻らして、頼む。」「結婚することになった。先生、ぜひ来てくれ。」と必死で言ってくるG君。
 G君を猛獣扱いした教師たちは、退職して学校には居なかった。


 でも、彼がスノボウで駆け巡った廊下、階段、手すり、強烈な騒音の話だけは山城高校定時制でもろう学校でも語り継がれていた。
 再び学びなおそうとするG君の気持ちを受けとめようと2月の再入学期まで時間があるので招待された結婚式に参加した。

 数え切れない結婚式に参加したけれど今だ彼のような結婚式は、出たことがないというか見たことはない。

 いきなりグビグビビールを飲んだ連中が、めいめい叫んだり、話したり、誰がなにを言っているのか、日本人なのかアメリカ人なのか、ともかくわからない人々が狭い会場にわんさか集まり、誰ひとり知った人はいず、教師は私ひとりだけだった。
 いつはじまったのか、いつ終わったのかわからないまま「群衆」は居なくなり、がらんとした会場にひとり取り残されてしまった。

 花嫁はどの人か、も分からないまま帰路についたが、「バドワイザー」「サーフ」などの英語や日本語だけが、頭にこびりついた。

 G君は、なんと多くの友人が居たことか、なんとかわった服装をした多くの人々居るのか、という気持ちとともに「はたしてG君は、再びやって行けるのか。」「学習する気持ちがホントウにあるのだろうか」と思い悩んでしまった。

                                                              Esperanza
 

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