教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
普通学校で学んだ障害児のことが書かれた本は多い。
だが、交流や理解の広がりやその逆のことが書かれても授業の工夫やその実践はほとんど書かれていない。
それは、小学校は6年。中学校は3年。高等学校は3年。としてひとつの事例としてしか残っていかないからである。
近年は、大学の取り組みは燎原の火のように広がっている。
そのなかで高等学校の取り組みが遅れたのは……と考える時がしばしばある。
聞こえの権利保障に消極的であったが (5)
聞く事、話す事 (各種行事での聞こえの権利保障について)
「聞こえの権利保障」、という言葉はよく耳にする。
さて、「聞こえの権利保障」とは何であるのだろうか。
「聞こえの権利保障」、とは、簡単に言えば、私たち聴障生が生活して行く上で、健聴者が耳から聞こえるものを同じ様に正確に聞き知る事が出来る様にする事であって、すなわち「聴覚保障」のことである。
聞こえの権利保障を要求するといった力が
あまり無かったように思えて
現在の社会は、はた目から見ても、わかる様にほとんど何から何までも、健常者向きに又、健常者中心であると言っても過言ではない。
そんな社会の中に、聴覚障害者が何百万人も存在しているのだから、それだけ聞こえの権利保障、はどうしても重要となってくる。
それなのに、私たち聴障生は、「聞こえの権利保障」、それらを要求するといった力があまり無かった様に思えて来る。
山城高校に3年間居ながらも、そういうものに関しては自ら関心を持たなかったというふうにも見られる。
先生の話している言葉が全然わからなくっても、「無理もないや」というふうに、当り前の様に心のどこかで諦めが出ていたのかも知れない。
山城高校へ
わざわざノートを写しに来ただけのようなものでいいの
毎日の授業の意味等、全然わからないのに、私たちは山城高校3年間ずうっと根気強く通っていた。
よく考えてみると全くおかしいものである。
それに間違っているとも思える。
私たちは今までずうっと教科書や友達のノートをあてにして勉強して来た。
これじゃまるで山城高校へわざわざノートを写しに来ただけの様なものである。
不利な事に、聴障生は健聴生とちがって、真面目に聞いていても聞こえないのである。
やはり、聴覚障害生たちだって、健聴生と同じ様に、先生の話を聞いたり、ノートに写すために学校に来ているのだから。
そうでないと「聞こえの権利保障」、は成り立つとはとても思えない。
手話通訳、をつけたらいいのだ式の考え方だけでは
絶対解決出来ない
「聞こえの権利保障」、を満たすためにも手っ取り早いのが、手話通訳、である。
その手話通訳、でも、色々と問題は残っている。
例えば、日本語に方言があるのと同じ様に手話も地方によって少々異なってくるのである。
残念な事に、共通手話というものはあまり知れ渡っていない。
それに、手話通訳者を付けたからといって話が全部、通訳出来るとは限らない。
手話を知らない聴障生が沢山いる事等、問題点はごまんと残っているのである。
この様に、聴障問題は、手話通訳、を付けたらいいのだ式の考え方だけでは、絶対解決出来ないのである。
大切な聴障生たちが自分の障害に自覚を持つ
我が山城高校では少しでも「聞こえの権利保障」、を満たす事が出来る様、色々な対策をたてて来た。
1週間に1回、聴障生間でミーティングを開いたり、集団補聴器を使用させたり、要約筆記(OHP)したり、先生たちの間でも、定期的に聴障研修会を開いたり、新入生の聴障アッセンブリーを実行したり、あらゆる手を打って来ている。
後、残るのはやはり「聞こえの権利保障」の中でも最も重要な、手話通訳、である。
特別行事の時だけ、手話通訳を付けてもらって来たけれど、本来、どんな時にも付けてもらうのが普通である。
それに加えて聴障生たちが自分の障害に自覚を持つのも、手話通訳に劣らず大切なものだと私は思う。
私たちもそうであった様に、現在の聴障生たちは、障害者としての自覚をなくしがちである。
もちろんこのままではいけない。我が校には手話部という物までがあって、現在5人の健聴生たちが活動中である。
せっかく手話部まであったというのに、私はあまり必要としていなかった。
本当ならば、その人たちを最も必要とし、又感謝する立場にあるというのにその気配は一向に見られなかった様な気がする。 ( つづく )
Esperanza
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