教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
T子さんの「 グループの中に1人でもいれば話はスムーズに進む」と言うことは、健聴生徒とのクループ会話だけでなく、聞こえる人々との会話の成立の上でも大切なことを教えてくれている。
さらに、ともするば「孤独」に陥るという聴覚障害生徒に対して自ら、ひとり、そしてふたり。
自分も含めて3人の友人が出来ることで、さらに大きなグループの輪が広まることを提起している。
聴覚障害生徒同士や健聴生徒の中で聴覚障害生徒が学ぶことのメリット、デメリットについて
「どっちもどっちで、それなりに価値のあるものだと私は思っています。」
と言い切っている。
このことは、当時のインテグレーションや現在のインクルージョンを唱える教師・研究者に対する教訓として受けとめていく必要があるのではないだろうか。
「それなりの価値」
とT子さんが言い切った意味は深い。
聞こえの権利保障に消極的であったが (3)
授業の意味をなんとか把握しようと一生懸命先生の口の動きを
勉強について
授業中の事
山城に入りたての頃は、健聴生の中に交って勉強する、そういったものにも、全然慣れておらず、友人作り同様にものすごく困っていた。
初めの頃は一番前の席でずうっと目を開けては、先生の口の動きだけを頼りに、授業の意味をなんとか把握しようと自分なりに一生懸命だった。
それでもわからないものはわからないのである。
そんなふうに、わからない所は、自分のあせりと共に、だんだんと増して行った。
色々な手段の中の1つとして、カセットテープを使っては、家に持って帰っ
て、家の人に聞いてもらったりしていた。
しかし、そんなものがあるとかえってなまけてしまうのだった。
例えば、カセットがあっても、ノートぐらいはとるべきなのに、つい、カセットがあるから、というふうに思ってしまい、なまけてしまうのであった。
他に、家の人もあまり時間がとれないという理由からして、カセット対策はまず成功したとは言えなかった。
難聴学級の中で育って来たからも
健聴生との勉強になかなかなじまなかった
そんな私にとっては、家での勉強が第1となった。
そんなある時、バドミントン部の練習が本格的になり、家に帰っても眠くて勉強がはかどらず、ますます勉強は遅れてしまい、困るばかりだった。
それで思い切ってバドミントン部をやめてしまったのである。
健聴生との勉強になかなかなじまなかったのも、今まで難聴学級の中で育って来たからもある。
健聴生との勉強の仕方も覚えて行き、少し余裕を持ち始めた所で現在のボート
部に私は誘われたのである。
中には、教科書等全然使わず、自分の覚えている事言い放題風の先生もいた。
私たち難聴生たちが最もあてにする黒板には、落書き程度しか書かないひどい(私たちにとって)先生もいた。
そういう先生がまず悩みの種となり、いつまでたっても解決する事が出来なかった。
カセット作戦を使っても、そういう先生に限って声も小さくはっきりしない。
そういう災難にあったのは、幸い1年の時だけで、後の2・3年はほぼ皆いい先生ばかりだったので、これらの授業はまず安泰していたと思う。
めんどうくさい、という気持ちに打ち勝とうとする姿勢
家での勉強
予習・復習はとても大切、と一般の人は皆簡単に口にする。
確かに大切ではあると私も思う。
それに、予習・復習の大切さはもう中学の時から知りつくしていた。
でも実行し始めて3日間と続いたためしがない。
しかし自分は難聴であるという自覚も少しあったせいか、この科目なら予習だけ、あの科目なら復習だけというふうに区別し、継続的にやっていた。
とにかく、予習・復習の両方ともやった覚えはないというのである。
テスト前となると復習が中心的になる。
テスト前の復習だと何故か早く片づくものである。
もちろん、急ぐからと言って、手抜きしたり、簡単にまとめようとはしていない。
つまり、普段3時間かかる復習を、テスト前ではたったの1時間で片づけてしまうと言った具合なのである。
集中、やる気の問題だけでなく、緊張感の問題でもある様だ。
1年中、テスト前という気分にひたっている訳でもない。
そこが難しいのである。
それでもやるべきことはやるべきである。
めんどうくさい、という気持ちに打ち勝とうとする姿勢が一番大切ではないだろうか。
私たち難聴生たちは、復習も大切であるが、それ以上に予習はもっと大切なのである。
それをわかっていながら今いちやる気になれないのが現在の私である。
反省すべきである。
( つづく )
Esperanza
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